【故事成語】
狐死して丘に首す
【読み方】
きつねししてきゅうにしゅす
【意味】
もとを忘れないことのたとえ。また、遠く離れても故郷を忘れず、懐かしく思うことのたとえ。


【類義語】
・越鳥南枝に巣をかけ、胡馬北風に嘶く(えっちょうなんしにすをかけ、こばほくふうにいななく)
・胡馬北風に依る(こばほくふうによる)
・故郷忘じ難し(こきょうぼうじがたし)
「狐死して丘に首す」の故事
この言葉は、中国古代の礼に関する教えを集めた『礼記(らいき)』の「檀弓上(だんぐうじょう)」に出てきます。原文には、「古之人有言曰、狐死正丘首、仁也」とあります。「昔の人の言葉に、狐は死ぬとき、生まれ育った丘の方へ正しく頭を向ける。それは恩愛の心によるものだ、とある」という意味です。
この一節の前には、周王朝の建国を助けた太公望(たいこうぼう)こと呂尚にまつわる話があります。太公は斉(せい)の営丘(えいきゅう)に領地を与えられましたが、その後、五代にわたる子孫は、亡くなると周の地へ戻って葬られたと記されています。
営丘は太公が封じられた土地ですが、太公とその子孫にとって、周は一族の歩みが始まった大切な場所でした。そのため『礼記』では、遠く離れた土地で暮らしても、死後には周へ帰って葬られたことを、根本を忘れない行いとしてたたえています。
その説明に続いて引かれるのが、「狐死正丘首」です。「正丘首」は、語の並びを入れ替えて「正しく丘に首す」と読むことができ、狐が死に際して頭をもとの丘へ向ける姿を表します。古い注釈では、その丘は狐の穴がある根本の場所であり、苦しい死の間際にも、そこへ心を向けると説いています。
ここでいう「仁」は、広く人を思いやる徳だけでなく、自分を生み育てたものへの恩愛を表しています。太公の子孫が祖先ゆかりの周へ帰って葬られたことと、狐がもとの丘へ頭を向けることとを重ね、受けた恩や自分の根本を忘れない心を示したのです。
同じ発想は、『楚辞(そじ)』の「九章・哀郢(あいえい)」にも出てきます。「鳥飛反故郷兮、狐死必首丘」とあり、「鳥は飛び去っても故郷へ帰り、狐は死ぬとき、必ずもとの丘へ頭を向ける」という意味です。
「哀郢」は、戦国時代の楚(そ)の詩人である屈原の作と伝えられ、故国を離れた悲しみを詠んだ作品です。この一節では、鳥や狐でさえ生まれ育った場所を忘れないのだから、人が故郷を恋しく思うのは当然であるという、切実な思いを表しています。
『礼記』では、祖先や物事の根本を忘れない心を説くために用いられ、『楚辞』では、追われた者が故郷を慕う心を表すために用いられています。この二つの古い用法から、「もとを忘れないこと」と「故郷を思うこと」という、現在まで伝わる二つの意味が形づくられました。
日本では、この故事を二字に縮めた「首丘(しゅきゅう)」という言葉も用いられました。『古事談(こじだん)』(1212〜1215年頃・鎌倉時代前期、源顕兼編)には「首丘之実」という用例があり、鎌倉時代にはすでに、もとを忘れないことを表す典故として受け入れられていました。
「狐死して丘に首す」は、この「狐死正丘首」を日本語の漢文訓読の形にした表現です。「丘」は、単なる小高い土地ではなく、狐が住み、生まれ育った根本の場所を指します。そのため現在でも、故郷を懐かしむ場合だけでなく、恩を受けた人、自分を育てた土地、仕事や学問の出発点などを忘れない心を表す言葉として用います。
「狐死して丘に首す」の使い方




「狐死して丘に首す」の例文
- 海外で長く暮らした祖父は、狐死して丘に首すの思いから、晩年を故郷で過ごすことに決めた。
- 故郷の祭りへ毎年欠かさず参加する彼の姿には、狐死して丘に首すという言葉がよく当てはまる。
- 狐死して丘に首すといい、成功した後も恩師や母校への感謝を忘れてはならない。
- 社長は狐死して丘に首すの心で、会社を興した小さな工場を今も大切に残している。
- 遠い土地へ移住しても郷土の言葉を子どもに伝える母には、狐死して丘に首すという思いがあった。
- 研究者は狐死して丘に首すの精神を忘れず、学問の道へ導いてくれた故郷の学校をたびたび訪れた。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・北京・商務印書館、小学館共同編集『中日辞典 第3版』小学館、2016年。
・竹内照夫『新釈漢文大系27 礼記 上』明治書院、1971年。
・星川清孝『新釈漢文大系34 楚辞』明治書院、1972年。
・『礼記』「檀弓上」。
・『楚辞』「九章・哀郢」。























