【ことわざ】
経も読まずに布施を取る
【読み方】
きょうもよまずにふせをとる
【意味】
果たすべき仕事や役目を果たさないまま、報酬や利益だけを得ようとすること。


【類義語】
・濡れ手で粟(ぬれてであわ)
【対義語】
・働かざる者食うべからず(はたらかざるものくうべからず)
「経も読まずに布施を取る」の語源・由来
「経も読まずに布施を取る」は、僧侶が経を読むという務めを果たしていないのに、施主から布施だけを受け取る場面を表したことわざです。本来なすべき行いと、それに伴って受ける金品とを並べ、前者を省いて後者だけを求める不当さを、分かりやすく示しています。
「布施」は、もともと仏教で、自分の持つものを惜しまず人に施す行いを指します。金銭や品物を施す財施(ざいせ)のほか、仏の教えを説く法施(ほうせ)などもあり、単なる読経の料金を意味する言葉ではありません。しかし、日常では、仏事の際に僧侶へ渡す金品も布施と呼ばれてきました。
読経と布施との関係は、古くから笑いや風刺の題材にもなりました。狂言『布施無経(ふせないきょう)』または『無布施経(ふせないきょう)』では、檀家(だんか)で経を読んだ住職が布施を受け取れず、いったん帰りかけてから戻り、遠回しな言葉や芝居によって布施を催促します。
この狂言は「経を読んだのに布施がない」という筋ですが、「経も読まずに布施を取る」は、その反対に、務めを行わず、受け取るものだけを求める姿を描きます。どちらにも、読経と布施を対にして、僧侶の欲深さや金品への執着を風刺する庶民の鋭い視線が表れています。
現在の形につながる古い用例は、近松門左衛門の人形浄瑠璃『百日曾我(ひゃくにちそが)』(1700年頃・江戸時代前期)に出てきます。この作品は、曾我兄弟の敵討ちを題材とした五段の時代物で、大坂の竹本座で初演されました。
『百日曾我』では、「ろくな手柄を一度せいで」と、十分な働きもしていない人物を責める文脈で、「経も読まずに布施取るか」という言い方が使われています。ここでは、実際の僧侶について語るのではなく、手柄を立てないまま相応の役目や褒美を求める態度を、経を読まずに布施を受け取る僧侶になぞらえています。
この用例から、遅くとも江戸時代前期には、僧侶と布施をめぐる具体的な場面を離れ、「働かずに報酬だけを求める」という広い意味で使われていたことが分かります。仕事と報酬、功績と褒美、義務と権利など、本来一組であるはずのもののうち、利益だけを得ようとする態度への批判が込められています。
藤井乙男編『諺語大辞典(げんごだいじてん)』(1910年・明治時代)には、「經モ讀マズニ布施トル」という形で収められ、「義務を盡さずして報酬を貪る喩」とあります。この段階では、僧侶の話に限らず、義務を果たさず報酬を欲しがることを戒めることわざとして、その意味がはっきりと定着していました。
現在では、会社の仕事をせず給料だけを求める場合、共同作業に加わらず成果だけを受け取ろうとする場合、責任を負わず権利だけを主張する場合などに用います。ただ苦労せずに利益を得たというだけでなく、果たすべき役目を故意に省き、その見返りだけを取ろうとする点に、このことわざの意味の芯があります。
「経も読まずに布施を取る」の使い方




「経も読まずに布施を取る」の例文
- 掃除当番を休んで褒美だけを求めるのは、経も読まずに布施を取るようなものだ。
- 家の手伝いを一度もしないまま小遣いを増やしてほしいとは、経も読まずに布施を取る話である。
- 共同研究に参加せず成果だけを自分のものにすれば、経も読まずに布施を取ると非難される。
- 責任ある仕事を部下に任せ、手柄だけを受け取る上司は、経も読まずに布施を取るに等しい。
- 大会の準備を他人に押しつけて表彰だけを望むのは、経も読まずに布施を取る行いだ。
- 働きもせず報酬だけを要求する彼の態度を、父は経も読まずに布施を取ると戒めた。
主な参考文献
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・藤井乙男編『諺語大辞典』有朋堂、1910年。
・近松門左衛門『百日曾我』1700年頃。























