【故事成語】
堯の子堯ならず
【読み方】
ぎょうのこぎょうならず
【意味】
親がどれほど優れた人物であっても、その子が同じように優れているとは限らないということ。


【類義語】
・堯舜の子に聖人なし(ぎょうしゅんのこにせいじんなし)
・賢が子賢ならず(けんがこけんならず)
【対義語】
・蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)
・この親にしてこの子あり(このおやにしてこのこあり)
「堯の子堯ならず」の故事
「堯の子堯ならず」の「堯」は、中国古代の伝説上の聖王です。堯は舜(しゅん)とともに理想的な天子として尊ばれ、その優れた政治の時代は「堯舜の治」とたたえられました。一方、堯の子は丹朱(たんしゅ)といい、父のような徳や能力を備えていなかったと伝えられています。
この伝承は、戦国時代の思想家である孟子の言行や思想を記した『孟子(もうし)』(戦国時代成立)「万章上(ばんしょうじょう)」に出てきます。そこには、「丹朱之不肖、舜之子亦不肖」とあります。丹朱は父の堯に及ばず、舜の子もまた父に及ばなかった、という意味です。
ここでいう「不肖(ふしょう)」は、もともと子が父に似ていないことを表し、そこから、父ほど賢くないことや、徳や才能が乏しいことを表すようになった言葉です。したがって、丹朱が「不肖」であったという記述は、聖王である堯の子であっても、父と同じほど優れた人物になるとは限らないことを示しています。
『孟子』では、堯が亡くなって喪が明けると、舜はいったん堯の子に位を譲ろうとして、南河の南へ退いたと述べています。しかし、諸侯は堯の子ではなく舜のもとへ集まり、裁きを求める者も舜を訪れ、人々も堯の子ではなく舜の徳を歌いました。そのため、舜は、人々の心が自分に向かうのは天意であるとして、天子の位に就いたと語られています。
前漢の司馬遷が著した『史記(しき)』(前91年ごろ完成)「五帝本紀(ごていほんぎ)」では、この話がさらに詳しく記されています。堯は、子の丹朱が不肖であり、天下を任せるには足りないことを知っていたため、舜に政治を託したとあります。
『史記』によれば、堯は、舜に天下を授ければ世の人々は利益を得るものの、丹朱は不満に思い、丹朱に授ければ丹朱一人は利益を得ても、天下の人々が苦しむと考えました。そして、天下を苦しめて一人だけを利することはしないと述べ、最後には舜へ天下を託しました。ここには、後継者を血筋だけで選ばず、徳と能力を重んじる考え方が表れています。
堯と丹朱の物語は、歴史上の事実として確かめられるものではなく、古代中国で理想の政治を説くために受け継がれた伝説です。しかし、最も優れた君主とされた堯にさえ、父と同じ徳をもたない子がいたという話は、親子の能力が必ず同じになるわけではないことを表す、分かりやすいたとえとなりました。
日本では、『太平記(たいへいき)』(14世紀後半成立・南北朝時代、作者不詳)巻第三十一に、「尭の子尭の如くならず、舜の弟舜に不似」という形で出てきます。この場面では、楠木正成の子であり、楠木正行の弟でもある楠木正儀が、父や兄ほど素早く行動しないとして、人々から非難されます。
『太平記』の「尭の子、尭の如くならず」は、「堯の子は堯のようにはならない」という意味です。この用例では、丹朱の故事そのものを語るのではなく、優れた父をもつ子が父ほど優れていないことを評する、広く知られたたとえとして使われています。
その後、「堯の子、堯の如くならず」から「如く」が省かれ、「堯の子堯ならず」という簡潔な形が定着しました。現在では、親が賢明であっても、子が同じ資質をもつとは限らず、才能や人格は家柄だけでは決められない、という意味で用いられています。
「堯の子堯ならず」の使い方




「堯の子堯ならず」の例文
- 名高い学者の息子だからと期待されたが、学問を好まない姿を見て、堯の子堯ならずとはこのことだと思った。
- 名人と呼ばれた陶工の技を息子が受け継げず、堯の子堯ならずと周囲から評された。
- 堯の子堯ならずというように、名選手の子が必ず優れた選手になるとは限らない。
- 創業者の息子は経営の才に乏しく、堯の子堯ならずという結果になった。
- 父は名医として知られていたが、息子は勉学を怠り、堯の子堯ならずと嘆かれた。
- 堯の子堯ならずを思えば、親の名声だけで子の能力を判断するべきではない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・『孟子』戦国時代成立。
・司馬遷『史記』前91年ごろ。
・『太平記』14世紀後半成立。























