【ことわざ】
三つ子の魂百まで
三つ子とは、物心(ものごころ)がつきはじめるころの幼い子を指します。
【読み方】
みつごのたましいひゃくまで
「魂」とは、動物の肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもので、古来(こらい)肉体を離れて存在するものと考えられ、「霊魂(れいこん)」、「精霊(せいれい)」、「たま」などと呼ばれています。また、精神、気力、思慮分別(しりょふんべつ)、素質、天分(てんぶん)という意味もあります。
【意味】
幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ。
【語源・由来】
源氏物語(げんじものがたり)に「筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう「魂」のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出で来れど」(書画の道と碁は、不思議と天分の差が現れるもので、深く習練したと思えぬ凡愚(ぼんぐ)の者でも、その天分によって、巧みに描いたり打ったりする者も出て来ますが」と出てきます。
【類義語】
産屋の風邪は一生つく(うぶやのかぜはいっしょうつく)
病は治るが癖は治らぬ(やまいはなおるがくせはなおらぬ)
【英語訳】
The child is father of(to) the man.
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「三つ子の魂百まで」の使い方
太郎君はバッティングが抜群にうまいんだ。当たるとホームランばかり。僕なんかいつも三振、うらやましいな。
健太君も練習すればいいじゃないの。
やっているよ。でも、太郎君は練習なんてぜんぜんしてないよ。
それって、三つ子の魂百までとか、天才かもよ。
「三つ子の魂百まで」の例文
- あの子の演技は抜群だ、三つ子の魂百まで、生まれ持った才能だと思う。
- 本当に反省しているのかどうか、三つ子の魂百までというからな。
- 我が社創業(そうぎょう)時の理念は変えない、三つ子の魂百までとも言われるようにそれを変えてしまうと我が社の存在価値はない。
- 三つ子の魂百までもというが、分かっていても、なかなか自分の癖は変えられないな。
まとめ
確かに人の天性は変わらないもかもしれせん。でもエジソン曰(い)わく。「天才は1%のひらめきと99%の汗」ということもあります。変われない部分はあっても、努力を継続することで不得意な分野で一流の人物になることは可能です。夢や希望はいつまでも持ち続けたいものです。夢や希望がある限り人は若い、サミエル・ウルマンの詩にあるように。