「三つ子の魂百まで」の意味(出典・語源由来・類義語・英語訳)
【ことわざ】
三つ子の魂百まで
【読み方】
みつごのたましいひゃくまで
【意味】
幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ。
子供の頃の自分を大事にするっていうことやな。これは、自分らしさを大切にするっていうメッセージもあるかもな。
【出典】
源氏物語に「筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう「魂」のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出で来れど」(書画の道と碁は、不思議と天分の差が現れるもので、深く習練したと思えぬ凡愚の者でも、その天分によって、巧みに描いたり打ったりする者も出て来ますが」と出てきます。
【語源由来】
三才のときの性質は、百才になっても変わらないことから。
【類義語】
・産屋の風邪は一生つく
・病は治るが癖は治らぬ
・雀百まで踊り忘れず
【英語訳】
The child is father of(to) the man.
「三つ子の魂百まで」の解説
「三つ子の魂百まで」っていうことわざはね、子どもの性格や才能がほとんど変わらずに大人になることを表しているんだよ。
「三つ子」とは、3歳の子どもを指すんだけど、これはちっちゃい子どもって意味でも使われるよ。「魂」は心や性格、知恵とかを表していて、「百」は高齢を意味するよ。
その昔、平安時代の有名な作家で、紫式部という人が書いた「源氏物語」という話の中に、「筆取る道と碁(ご)打つこととぞ、あやしう『魂』のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出来れど」という一節があってね、これがこのことわざの元になっているんだってさ。
それを今の言葉にすると、「書道や囲碁って、生まれつきの才能がすごく影響するから、たくさん練習してない人でも、生まれつきの才能があると上手にできるんだよね」っていう意味になるんだ。
つまり、生まれつきの才能や性格は、その後の人生でも大きく変わらないということなんだよね。だから、子どもの頃の性格や行動は、大人になってもそのまま引き継がれることが多いんだってさ。これが「三つ子の魂百まで」ってことわざの意味だよ。
「三つ子の魂百まで」の使い方
「三つ子の魂百まで」の例文
- あの子の演技は抜群だ、三つ子の魂百まで、生まれ持った才能だと思う。
- 三つ子の魂百までというように、幼いときの性質は、年をとってからも変わらない。
- 本当に反省しているのかどうか、三つ子の魂百までというからな。
- 昆虫が大好きだったファーブル少年は、やがて偉大な昆虫学者になった。まさに三つ子の魂百までだ。
- 我が社創業時の理念は変えない、三つ子の魂百までとも言われるようにそれを変えてしまうと我が社の存在価値はない。
- 母は、昔からうっかりさんだと祖母が言っていた。三つ子の魂百までだ。
「三つ子の魂百まで」を深掘り
「三つ子の魂百まで」ということわざは、人の性格や性質は子どものころから変わらないという意味を持つ言葉ですが、科学的に見るとこの言葉は必ずしも正確ではないことが示されています。
立命館大学のサトウタツヤと帯広畜産大学の渡邊芳之による『「モード性格」論』によれば、人は生活の中で行動や性格を変えることができるとされています。
この論において、人の性格は単一ではなく、環境や人付き合いの影響を受けて柔軟に変わるものとされています。
具体的には、自分一人の意識としての性格(一人称的性格)、自分と他者との関係性から見た性格(二人称的性格)、そして第三者的な立場から見た役割としての性格(三人称的性格)の3つの視点が存在すると提唱されています。
例えば、飲み会が苦手だと感じる人でも、その感じ方は一人称的性格の一部にすぎません。飲み会の幹事としての役割を体験すれば、新しい視点や感じ方が生まれるかもしれません。これは、スタンフォード監獄実験という有名な心理学実験にも繋がります。
この実験では、参加者たちが与えられた役割(看守や受刑者)によって行動や性格が変わってしまうことが示されました。
したがって、「自分は〇〇なタイプだから」と自分を限定してしまうのは、実際には視野や行動範囲を狭めてしまうことに繋がる可能性があるのです。
人の性格や行動は環境や役割、人付き合いによって柔軟に変わることができるので、自分の魂や性格は固定されていると思い込む必要はないと言えるでしょう。
参考文献
このことわざ、科学的に立証されているんです | 堀田 秀吾
たとえ教育を受けたり、経験を積んだりしても、幼い頃の特性はなかなか変わらないということを表しているんだよ。