【ことわざ】
飽かぬは君の御諚
【読み方】
あかぬはきみのごじょう
【意味】
主君の命令であれば、どんな無理なことであっても、嫌だと思わず従うこと。


「飽かぬは君の御諚」の語源・由来
「飽かぬ」は、古い言い方の「飽く」に、打消しの「ぬ」が付いた形です。「飽く」には、十分になって嫌になる、うんざりするという意味があり、「飽かぬ」は、ここでは嫌にならない、嫌がらないという意味を表します。「御諚(ごじょう)」は、身分の高い人や主君の命令、またはその言葉のことです。
したがって、このことわざは、言葉どおりには「主君の命令ならば、嫌にはならない」という形です。しかし、実際には、楽な頼みを喜んで受ける場面ではなく、危険や悲しみを伴う命令であっても、家臣が逆らわずに受ける場面を表します。
この言い方は、室町時代から流行した語り物の芸能である幸若舞(こうわかまい)の本文に現れます。幸若舞は、物語を節と動きを伴って語り舞う中世の芸能で、主君への忠義や、別れを受け入れる決意の言葉が強く印象づけられる場でもありました。
幸若舞曲『鎌田(かまだ)』は、作者と成立年代は不詳ですが、1573年、天正元年の上演記録が残る作品です。平治の乱に敗れた源義朝と、彼に仕える鎌田正清、渋谷金王丸(こんのうまる)らの運命を描いています。
『鎌田』では、金王丸が、主君である義朝の身に裏切りの危険が迫っていることを悟り、義朝に訴えます。それでも義朝は、金王丸に外へ出るよう命じます。すると金王丸は、「飽かぬは君の御諚。」と答えて命令を受け、主君が忠告を悟らないことを嘆きながら出立します。
この場面の「飽かぬ」は、命令の内容に満足しているという意味ではありません。金王丸は危うさを知り、悲しみも抱えていますが、それでも主君の命令である以上は拒まないという、家臣としての覚悟を言い表しています。
『鎌田』の言葉を伝える毛利家本を含む幸若流舞之本は、江戸時代の初めごろに書き写されたものとみなされ、福井の幸若舞の文体を受け継ぐものです。「飽かぬは君の御諚」という言い回しは、このように、中世から伝わる物語芸能の本文の中で、主君と家臣の切実な場面に用いられていました。
同じ言い回しは、幸若舞曲『小袖乞(こそでごい)』にも出てきます。継母の命によって二人の姫宮を舟に乗せて流すという痛ましい役目を受けた者たちが、「飽かぬは君の御諚。」と言って、その命令を実行する場面です。
さらに、『夜討曽我』では、主君との別れを拒みたい従者たちが、形見と文を持ち帰るよう命じられたあと、「飽かぬは君の御諚」として、その命令に従います。ここでも、悲しみや不本意をなくすのではなく、主君の言葉に背かない態度が表されています。
このように、異なる物語の場面で同じ形が繰り返し用いられ、危険な役目やつらい別れの中でも、主君の命令を受け入れる言い方として働いています。そこから、飽かぬは君の御諚は、主君の命令であれば、どんな無理なことであっても嫌がらずに従うことを表すことわざとして伝わっています。
「飽かぬは君の御諚」の使い方




「飽かぬは君の御諚」の例文
- 若武者は、敵地への使者を命じられると、飽かぬは君の御諚と覚悟を定めて城門を出た。
- 家臣は、主君を逃がすための危険な役目にも、飽かぬは君の御諚と答えて馬に乗った。
- 物語の侍は、望まぬ別れを命じられても、飽かぬは君の御諚と涙をこらえて出立した。
- 劇の稽古で、家老役の姉は、飽かぬは君の御諚と言って密書を運ぶ場面を凛々しく演じた。
- 歴史小説では、忠義深い従者が、飽かぬは君の御諚と口にして苦しい命令を引き受ける。
- 城を離れるよう命じられた供の者は、飽かぬは君の御諚と頭を下げ、主君との別れを受け入れた。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・山本吉左右「鎌田」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。
・笹野堅編『幸若舞曲集 本文』第一書房、1943年。























