【故事成語】
牛蹄の涔には尺の鯉無し
【読み方】
ぎゅうていのしんにはせきのこいなし
【意味】
大人物は、狭苦しい場所では、その才能や手腕を十分に発揮できないということのたとえ。


【英語】
・A great ship asks deep waters.(大きな船には深い水が必要であり、優れた人物には力を発揮できる大きな舞台が必要である)
【類義語】
・大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
「牛蹄の涔には尺の鯉無し」の故事
「牛蹄の涔には尺の鯉無し」は、中国の思想書『淮南子(えなんじ)』(前漢、紀元前139年成立、劉安編)の「俶真訓」に由来します。『淮南子』は全二十一篇から成り、道家の思想を軸としながら、政治・自然・人間のあり方など、当時のさまざまな学説を広く取り入れた書物です。
「俶真訓」には、「夫牛蹄之涔、無尺之鯉。塊阜之山、無丈之材」とあります。書き下せば、「それ牛蹄の涔には尺の鯉無く、塊阜(かいふ)の山には丈の材無し」となります。
「牛蹄の涔」とは、牛が地面を踏んだあと、その蹄のくぼみに雨水などがたまってできた、小さく浅い水たまりです。「尺の鯉」は、一尺ほどの大きさがある鯉を指します。どれほど立派な鯉でも、牛の足跡ほどの水たまりでは、泳ぐことも、住み続けることもできません。
これと並べられた「塊阜の山には丈の材無し」は、小さな丘には、一丈もある大木は育たないという意味です。小さな水たまりと大きな鯉、小さな丘と長大な材木を対照させ、狭く小さな場所には、大きなものを受け入れるだけの広さがないことを表しています。
原文は続けて、「所以然者何也。皆其営宇狭小、而不能容巨大也」と述べています。なぜ大きな鯉や材木が存在できないのかと問い、いずれも、その占める場所が狭く小さいため、巨大なものを受け入れられないからだと、たとえの意味を明らかにしています。
この一節の前では、真人・聖人・賢人という、精神や知恵の境地が異なる人物について論じています。小さな器では大きなものを収められないというたとえによって、広大な境地に達した人物を、世間の狭い尺度だけで測ることはできないと説いているのです。
『淮南子』の「氾論訓(はんろんくん)」にも、同じ情景を用いた「夫牛蹄之涔、不能生鱣鮪」という一節があります。牛の蹄跡にたまった水には大魚を育てることができず、蜂の巣には大きな鳥の卵を入れられないとして、「小形は以て大体を包むに足らず」と説いています。
「氾論訓」では、徳の厚い人物に少しの欠点があっても、その小さな点だけを取り上げて責めてはならないという文脈で、このたとえを用いています。小さな器では大きなものを包みきれないという考えが、人の徳や才能を評価する教えにも広げられていました。
のちには、牛馬の蹄跡にたまった水を表す「涔蹄」という言葉も使われるようになりました。北周の文人である庾信は、「為杞公讓宗師表」の中で「一股涔蹄」と記し、わずかな水を表す文学的なたとえとして用いています。
日本語の「牛蹄の涔には尺の鯉無し」は、『淮南子』の「牛蹄之涔、無尺之鯉」を、原文の意味に沿って訓読した形です。牛の足跡ほどの水たまりには大きな鯉が住めないという具体的な情景から、大人物は、狭い地位や環境ではその手腕を十分に振るえないという意味で定着しました。
この故事成語は、才能のある人物なら、どこにいても必ず成功するという意味ではありません。優れた能力を生かすには、それにふさわしい役目、広さ、機会が必要であり、人の力と、その力を受け止める環境との釣り合いが大切であることを教えています。
「牛蹄の涔には尺の鯉無し」の使い方




「牛蹄の涔には尺の鯉無し」の例文
- 優れた研究者に単純な事務作業しか任せないのは、牛蹄の涔には尺の鯉無しというものだ。
- 牛蹄の涔には尺の鯉無しで、彼ほどの経営者には、与えられた権限があまりに小さかった。
- 若い技術者は牛蹄の涔には尺の鯉無しの状態を抜け出し、大規模な開発部門へ移った。
- 高度な設備のない研究室では、牛蹄の涔には尺の鯉無しとなり、彼女の能力を十分に生かせなかった。
- 牛蹄の涔には尺の鯉無しというように、その選手には世界で力を試せる舞台が必要だった。
- 社長は牛蹄の涔には尺の鯉無しにならないよう、有能な社員に大きな仕事と十分な権限を与えた。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・劉安編『淮南子』前漢、紀元前139年。
・庾信『為杞公讓宗師表』北周。
・Henry G. Bohn, A Hand-Book of Proverbs, George Bell and Sons, 1899.























