【ことわざ】
阿弥陀も銭で光る
【読み方】
あみだもぜにでひかる
【意味】
金銭の力は絶大であり、尊いものや公平であるべきものまで金の多少に左右される、というたとえ。阿弥陀仏の御利益さえ、供える金銭の多少で変わるという皮肉を含む。


【英語】
・Money talks.(金がものを言う)
【類義語】
・地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)
・金が物を言う(かねがものをいう)
・仏の光より金の光(ほとけのひかりよりかねのひかり)
「阿弥陀も銭で光る」の語源・由来
このことわざの土台には、阿弥陀仏を「光」と結びつける考えがあります。阿弥陀仏は西方極楽浄土の教主で、無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも呼ばれます。「無量光」とは量り知れない光明を表し、阿弥陀仏の名と深く関わる言葉です。
ただし、「阿弥陀も銭で光る」は、仏教の教えそのものを説く言葉ではありません。本来は金銭の多少と結びつかないはずの仏の光や御利益を、あえて「銭」で左右されるもののように言い表し、世の中で金銭が大きな力をもつことを皮肉っています。
古い用例として、江戸時代初期の仮名草子(かなぞうし)『竹斎(ちくさい)』(1621〜23年ごろ成立、富山道冶作と伝わる)下巻に、「誠に貧は諸道の妨げ、あみだもぜに程ひかる故なり」とあります。貧しさは何をするにも妨げになる、という文脈の中で、阿弥陀でさえ銭の分だけ光るという言い方が添えられています。
この古い形では「銭程」とあり、銭の多い少ないに応じて光るという考えが前に出ています。そこから、「阿弥陀も銭ほど光る」「阿弥陀の光も金次第」「阿弥陀の光も銭次第」「阿弥陀も金で光る」など、近い形の言い方が広がりました。
「阿弥陀も銭で光る」という形では、「銭で」という言い方によって、金銭が光らせる手段であるかのような皮肉が、いっそう分かりやすくなっています。尊い仏の光を、日常の銭という言葉で表すところに、このことわざの鋭さがあります。
つまり、このことわざは、阿弥陀仏の光という高い宗教的なイメージと、銭という現実的な金銭を強く対比させた表現です。金銭が人の判断や物事の扱いを左右してしまう世の中を、少し苦く、しかし印象深く言い表す言葉として定着しました。
「阿弥陀も銭で光る」の使い方




「阿弥陀も銭で光る」の例文
- 高額の寄付をした団体の要望だけがすぐ通り、阿弥陀も銭で光るという声が出た。
- 大口のスポンサーの意見で計画が急に変わり、阿弥陀も銭で光る世の中だと思った。
- 有名企業が資金を出したとたん、反対されていた企画が通り、阿弥陀も銭で光ると皮肉られた。
- 古い建物の修理順が寄付額で決まるようなら、阿弥陀も銭で光ると言われても仕方がない。
- 大会の出場枠が実力より協賛金に左右されるなら、阿弥陀も銭で光るの例になってしまう。
- 町の小さな声より多額の資金を出す人の希望が優先され、阿弥陀も銭で光る現実があらわになった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・公益財団法人日本漢字能力検定協会『漢検 漢字ペディア』。
・浄土宗大辞典編纂委員会監修、浄土宗大辞典編纂実行委員会編集『新纂浄土宗大辞典』浄土宗、2016年。
・富山道冶『竹斎』1621〜1623年ごろ。























