【ことわざ】
親はなくとも子は育つ
【読み方】
おやはなくともこはそだつ
【意味】
実の親がそばにいなくても、子どもはどうにか成長していくものだということ。転じて、世の中のことは必要以上に心配しなくても何とかなるというたとえ。


【類義語】
・藪の外でも若竹育つ(やぶのそとでもわかたけそだつ)
「親はなくとも子は育つ」の語源・由来
「親はなくとも子は育つ」は、実の親が育てられない事情があっても、子どもは、自らの生命力や周囲の助けによって成長していくという、昔からの経験を表したことわざです。そこから意味が広がり、物事の行く末を心配しすぎなくても、案外うまく進むものだというたとえにもなりました。
最も古い用例は、井原西鶴の『世間胸算用(せけんむねさんよう)』(1692年・江戸時代前期、井原西鶴著)に出てきます。この作品は、全五巻二十話からなり、町人たちが年の暮れに経験する、金銭をめぐるさまざまな出来事を描いています。
用例が出てくるのは、巻三の「小判は寝姿の夢」という一話です。暮らしに困った夫婦が、家計を立て直し、一人息子を将来まで育てるため、妻を裕福な家の乳母(うば:乳を与えて子を育てる女性)として奉公に出すことを決めます。
妻が赤ん坊に別れを告げ、奉公先へ連れて行かれるとき、仲介する女が、泣いている夫に向かって、「親は無けれど子は育つ」と言います。ここでの「親」は、おもに家を離れてしまう母を指し、母がそばにいなくても、子どもは何とか生きて育つという意味で使われています。
その晩、母の乳を飲めずに赤ん坊が泣き続けると、近所の女性たちが家に集まり、食べ物を与える方法を父親に教えます。この場面には、親がいない子どもも、周囲の人々に助けられて成長していくという、ことわざの内容に通じる暮らしの姿が描かれています。
『世間胸算用』では、「親は無けれど子は育つ」という形になっています。「なけれど」は、「いないけれども」という意味で、現在よく使われる「なくとも」と意味は同じです。その後、条件を表す「とも」を用いた「親はなくとも子は育つ」という形が定着しました。
昭和22年の太宰治の『父』には、「親が無くても子は育つ、という。私の場合、親が有るから子は育たぬのだ」とあります。作者は、子どものための貯金まで使ってしまう父親を自嘲し、ことわざを反対向きに言い換えています。この使い方から、昭和期にはすでによく知られた表現になっていたことが分かります。
このことわざは、親の役割が必要ないという意味ではありません。親がいないという厳しい境遇でも、子どもには育つ力があり、親族や近所の人などの支えによって成長できるという、人間のたくましさを表す言葉です。また、そこから、「先のことを心配しすぎなくても、物事は何とか進んでいく」という、より広い教えも生まれました。
「親はなくとも子は育つ」の使い方




「親はなくとも子は育つ」の例文
- 幼くして両親を亡くした彼が立派な医師となり、人々は親はなくとも子は育つと語り合った。
- 親戚や近所の人に支えられて成長した姉弟の姿は、親はなくとも子は育つという言葉を思わせる。
- 祖父母に育てられた少年は、親はなくとも子は育つの言葉どおり、たくましく成人した。
- 施設を巣立った若者の活躍を見て、先生は親はなくとも子は育つものだと目を細めた。
- 母を早くに亡くした娘が家業を継いだことから、親族は親はなくとも子は育つと喜んだ。
- 親はなくとも子は育つとはいえ、子どもの成長には周囲の温かな支えが大切だ。
主な参考文献
・小学館大辞泉編集部編、松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・井原西鶴『世間胸算用』1692年。
・太宰治『父』1947年。























