【ことわざ】
命あっての物種
【読み方】
いのちあってのものだね
【意味】
何事も命があってこそできるもので、命を失っては何にもならないというたとえ。


【英語】
・While there is life, there is hope.(生きている限り希望がある)
【類義語】
・死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか)
・死んでの長者より生きての貧乏(しんでのちょうじゃよりいきてのびんぼう)
・死ぬ者貧乏(しぬものびんぼう)
【対義語】
・命は鴻毛より軽し(いのちはこうもうよりかるし)
「命あっての物種」の語源・由来
「命あっての物種」は、中国の古い故事に由来する故事成語ではなく、日本で用いられてきたことわざです。「物種」は、もともと「物事のもととなるもの」という意味をもつ言葉で、「命あっての物種」では、命こそがあらゆる行動や成功のもとである、という考えを表しています。
このことわざに近い古い形として、狂言記(きょうげんき)所収の狂言「武悪(ぶあく)」(1660年・江戸時代前期)に、「いのちが物だねぢゃ」という表現が出てきます。狂言「武悪」は、不奉公を理由に成敗されそうになった武悪を、太郎冠者が殺すに忍びず逃がす筋をもつ作品で、命を失わずに逃れることが大切だという場面の流れと、この言い方がよく結びついています。
この段階では、「命が物種」という形が中心です。「命が、ものごとのもとである」という言い方であり、現在の「命あっての物種」とほぼ同じ考えを、より直接に述べています。「命が物だねぢゃ」という古い表記には、現在と少し違うかなづかいが残っていますが、意味の芯は、命を失えば何も始まらないという点にあります。
現在の形に近い「命有ての物だね」は、咄本(はなしぼん)『坐笑産(ざしょうみやげ)』(1773年・江戸時代中期、稲穂著)に出てきます。咄本とは、江戸時代に笑い話や小咄を集めて出版した本で、この表現がかしこまった文章だけでなく、人々に親しまれる軽い読み物の中にも用いられていたことが分かります。
『坐笑産』の用例では、「一時の栄華」よりも、長く命を保つことの大切さが語られています。つまり、目の前の名誉や利益よりも、生きていることそのものが土台になるという考えが、江戸時代のことわざとしてすでにまとまっていたのです。
「命が物種」という形から「命あっての物種」という形へ移ると、言葉の調子も少し変わります。「命が物種」は、命そのものを物事のもとだとする言い方です。一方、「命あっての物種」は、命があって初めて物事が成り立つ、という条件の形を強めています。どちらも、命を根本に置く考えは同じです。
後の用法では、危険を避けるための忠告として使われることが多くなりました。大きな利益、名誉、勝負、仕事などが目の前にあっても、命を失えば元も子もありません。そのため、このことわざは、無理をしそうな人に「まず生き延びることを考えなさい」と伝える、現実的で温かい言葉として使われます。
現在でも、このことわざは、災害、事故、病気、無理な挑戦など、命や安全にかかわる場面でよく使われます。単に臆病をすすめる言葉ではなく、生きていればやり直す道が残る、という希望も含んでいます。「命あっての物種」は、命を守ることを、すべての出発点として考えることわざです。
「命あっての物種」の使い方




「命あっての物種」の例文
- 地震で家財を失ったが、家族全員が無事だったので、命あっての物種と考えた。
- 大雨で用水路の水があふれていたため、財布を拾いに戻らず、命あっての物種と判断した。
- 登山中に天候が急に悪くなり、頂上をあきらめて下山したのは命あっての物種という考えからだ。
- 火事で店の商品は焼けたが、従業員が全員逃げられたことを思えば、命あっての物種である。
- 危険な近道を通れば早く着くとしても、命あっての物種を忘れてはいけない。
- 海が荒れている日に釣りを続けようとする友人を、命あっての物種と言って引き止めた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・稲穂『坐笑産』1773年。
・『狂言記』1660年。























