【ことわざ】
馬を牛と言う
【読み方】
うまをうしという
【意味】
権威や勢いを利用して、明らかな誤りを無理に押し通すことのたとえ。また、人の心中をすばやく推測することのたとえ。


【英語】
・say black is white(明らかに正しくないことを本当だと言う)
・read someone’s mind(相手が考えていることを言われなくても分かる)
【類義語】
・鹿を指して馬となす(しかをさしてうまとなす)
・烏を鷺(からすをさぎ)
・牽強付会(けんきょうふかい)
「馬を牛と言う」の語源・由来
「馬を牛と言う」は、馬と牛という、だれが見ても区別できる動物を取り違えて言い張る形から生まれたことわざです。馬を牛だと言い切るほど、筋の通らないことを無理に押し通す態度を表します。
このことわざには、「牛を馬と言う」という逆の形もあります。どちらも、権威をかさに着て、筋道の通らないことを無理に押し通す意味で用いられます。
馬と牛は、昔の暮らしの中で身近な家畜でした。荷を運ぶ、農作業を助ける、売買の対象になるなど、人の生活と深く結びついていたため、ことわざの材料にもなりやすい動物でした。
この表現の第一の意味は、明らかな事実をねじ曲げることです。事実は馬であるのに、力のある人が牛だと言えば、周囲が逆らえない、という場面を思い浮かべると分かりやすい言い方です。
この意味は、「鹿を指して馬となす」と近い考え方をもっています。「鹿を指して馬となす」は、『史記』秦始皇本紀に出てくる、秦の趙高が鹿を馬だと言って自分の権勢を試した故事に基づきます。
ただし、「馬を牛と言う」には、もう一つ、人の心中を悟るという意味もあります。この意味は、孔子と弟子の顔回をめぐる説話と結びついています。
その説話は、『十訓抄(じっきんしょう)』(1252年ごろ成立・鎌倉時代中期の説話集)に出てきます。『十訓抄』は、年少者に処世の教訓を示すため、十項目の徳目に沿って説話を集めた書物です。
『十訓抄』第七「思慮を専らにすべき事」には、魯の仲尼、すなわち孔子が弟子たちを連れて道を歩く場面があります。ある所で、垣根から馬が頭を差し出しているのを見て、孔子はそれを「牛」と言いました。
弟子たちは、孔子がなぜ馬を牛と言ったのか、すぐには分かりませんでした。やがて顔回から順に、思慮の深い者ほど早くその意味を悟った、と物語は述べています。
その答えは、暦で「うま」を表す「午」の字にあります。「午」の頭を出すように書くと「牛」になる、という文字の機知を、顔回はすばやく読み取りました。
この説話では、馬を牛と言ったことは、事実をねじ曲げるためではありません。孔子の言葉の奥にある意図を、弟子たちがどれほど早く悟るかを示す場面になっています。
そのため、「馬を牛と言う」は、一方では明らかな誤りを押し通すこと、もう一方では相手の心を察することを表す、二つの意味を持つことわざとして伝わりました。現在使うときは、どちらの意味かが文脈で分かるようにすることが大切です。
「馬を牛と言う」の使い方




「馬を牛と言う」の例文
- 証拠がそろっているのに誤りを認めない態度は、馬を牛と言うに等しい。
- 部長が自分の判断を通すために数字を無視するなら、馬を牛と言うようなものだ。
- 試合の映像を見ても反則ではないと言い張るのは、馬を牛と言う態度だ。
- 友人の失敗をかばうためとはいえ、事実を曲げれば馬を牛と言うことになる。
- 馬を牛と言うような説明では、聞いている人の信頼を失う。
- 相手の一言から本心をすばやく察する意味でも、馬を牛と言うという言い方がある。
主な参考文献
・馬場俊臣「『牛』に関することわざ:牛の何をどう捉えてきたか」『札幌国語研究』第15号、北海道教育大学国語国文学会・札幌、2010年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『十訓抄』1252年ごろ。
・司馬遷『史記』前漢、紀元前1世紀。
・Cambridge University Press, Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus.























