【故事成語】
箕山の節
【読み方】
きざんのせつ
【意味】
節操を守り、官職に就かないことのたとえ。世俗の名誉や利益を退け、自分の信念を貫くこと。


【類義語】
・箕山の志(きざんのこころざし)
・流れに耳を洗う(ながれにみみをあらう)
「箕山の節」の故事
「箕山」は、中国の河南省にある山の名です。伝説上の隠者である許由(きょゆう)が、堯(ぎょう)から天下を譲ろうとの申し出を受けたものの、それを断って隠れ住んだ場所と伝えられています。「節」は、誘惑や圧力に負けず、自分の信念や道徳を守り通す節操を指します。
許由が天下を辞退する話は、『荘子(そうじ)』(戦国時代、紀元前4〜3世紀ごろ成立)の「逍遥遊」に出てきます。堯は許由を優れた人物と認め、自分に代わって天下を治めてほしいと申し出ました。
しかし、許由は、堯の政治によって天下はすでに治まっているのだから、自分が代われば名声を求めることになる、と答えます。そして、小鳥が深い林に巣を作っても、必要なのは一本の枝だけであり、もぐらが川の水を飲んでも、腹を満たすだけで足りるように、自分には天下など必要ないと述べました。
『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』(戦国時代末期、呂不韋編)の「求人」篇では、この話がさらに具体的に語られています。許由は堯の申し出を退けたあと、箕山のふもとにある潁水(えいすい)のほとりへ行き、自ら耕して食べ、世の権勢に心を向けることなく、生涯を送ったとあります。
後に、西晋の皇甫謐が著した『高士伝(こうしでん)』には、許由の清らかな節操をいっそう強く印象づける話が加わります。堯が許由を九州の長に任じようとしたところ、許由は、そのような話を聞いたことさえ汚らわしいとして、潁水のほとりで耳を洗いました。
そこへ、友人の巣父(そうほ)が子牛を連れて水を飲ませに来ました。事情を聞いた巣父は、名誉や地位の話で汚れた耳を洗った水を牛に飲ませることはできないと言い、子牛を上流へ連れて行きました。この逸話から、許由と巣父は、栄誉や利益を嫌い、世俗から離れて節操を守る人物の代表となりました。
ただし、「箕山の節」という言い方に直接つながるのは、『漢書(かんじょ)』(後漢、1世紀末ごろ成立、班固著)の「鮑宣伝」に記された薛方の言葉です。『漢書』は、前漢の歴史を記した全百巻の史書で、班固の死後、妹の班昭らによって完成されました。
前漢末から新の時代にかけて、薛方は、学問と文章に優れた人物として知られていました。王莽(おうもう)が車を遣わして薛方を迎え、官職に就かせようとしましたが、薛方は使者を通して丁重に辞退しました。
そのとき、薛方は、「堯舜が上にいれば、下には巣父や許由がいる。今、明君が堯舜の徳を盛んにしているので、私は箕山の節を守りたい」という趣旨を述べました。王莽を堯や舜になぞらえて敬意を示しながら、自分は許由や巣父のように仕官せず、節操を守ると告げたのです。
使者からこの言葉を聞いた王莽は喜び、薛方を無理に連れて来させませんでした。薛方はその後も、家で経書を教え、詩や賦を作りながら暮らしました。この場面の「箕山之節」が、官職への誘いを退けて自分の信念を守ることを表す言葉となりました。
日本語では、「箕山之節」を読み下した「箕山の節」のほか、「箕山の志」や「箕山の操」という形も用いられます。いずれも許由の隠退にちなみ、名誉や利益に心を動かされることなく、世俗と距離を置いて自分の生き方を貫くことを表します。
このように、「箕山の節」は、許由が天下を譲るという申し出を退け、箕山に隠れた伝承を背景とし、薛方が王莽からの招きを断った言葉によって形が整えられた故事成語です。単に人付き合いや仕事を避けることではなく、地位や利益に屈せず、官職に就かないという節操を表します。
「箕山の節」の使い方




「箕山の節」の例文
- 王から大臣になるよう求められた賢者は、箕山の節を守って山里に退いた。
- 何度官職に招かれても応じなかった彼は、生涯にわたって箕山の節を貫いた。
- 高い地位や多くの財産に心を動かされない学者の姿は、箕山の節を思わせた。
- 新しい政権への出仕を断った老臣は、箕山の節を守る道を選んだ。
- 彼が政界からの誘いをすべて退けたのは、箕山の節を重んじていたからだ。
- 名誉ある役職を辞退して静かに研究を続けた先生を、人々は箕山の節をもつ人物と評した。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・『荘子』戦国時代成立。
・呂不韋編『呂氏春秋』戦国時代末期成立。
・皇甫謐『高士伝』西晋。
・班固『漢書』後漢、1世紀末ごろ成立。























