【故事成語】
過ぎたるは猶及ばざるが如し
【読み方】
すぎたるはなおおよばざるがごとし
【意味】
度を越してやりすぎることは、足りないことと同じようによくないというたとえ。


【英語】
・Too much is as bad as too little.(多すぎることは少なすぎることと同じくらいよくない)
・More than enough is too much.(十分を越えれば多すぎる)
【類義語】
・薬も過ぎれば毒となる(くすりもすぎればどくとなる)
・中庸(ちゅうよう)
・過不及なし(かふきゅうなし)
【対義語】
・大は小を兼ねる(だいはしょうをかねる)
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の故事
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は、『論語』(ろんご)「先進」に出てくる言葉に由来します。『論語』は、孔子とその弟子たちの問答や言行を記した中国儒教の経典で、孔子は春秋時代末期の魯の思想家として知られています。
もとの漢文では、子貢(しこう)が孔子に、子張(しちょう)と子夏(しか)のどちらがすぐれているかをたずねます。孔子は、子張は行き過ぎるところがあり、子夏は足りないところがあると答えました。さらに子貢が、では子張のほうがすぐれているのかと問うと、孔子は「過猶不及」と答えました。これは、行き過ぎることは、足りないことと同じようなものだ、という意味です。
この話で大切なのは、孔子が「積極的な子張のほうがよい」と単純には言わなかった点です。子張の「過ぎる」態度も、子夏の「及ばない」態度も、どちらもほどよいあり方から外れています。孔子は、足りないことだけでなく、行き過ぎることもまたよくないと示しました。
ここから、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は、物事には程度があり、その程度を越えることは、それに届かないことと同じようによくない、という故事成語として受け継がれました。よい行いであっても、限度を忘れると害になることがあります。たとえば、相手を思って助けすぎると相手の力を奪い、勉強をしすぎて体をこわすと本来の目的から離れてしまいます。
日本語としての古い用例には、『拾玉得花(しゅうぎょくとっか)』(1428年、世阿弥が金春禅竹に与えた能楽の伝書)に出てくる「過たるは及ばざるにおなじと也」があります。これは現在の形と少し異なりますが、「行き過ぎは足りないのと同じ」という中心の意味は同じです。
その後も、この言葉は少しずつ形を変えながら使われました。俳諧の『世話尽』(1656年)には「過たるは及ばざるにはしかじ」という近い形があり、近世にはすでに、日常の教訓として理解される言い方になっていました。
近代にも、福沢諭吉の『学問のすすめ』(1872〜1876年)で、食物は体を養うために必要だが、食べ過ぎればかえって栄養を害する、という説明の中でこの言葉が用いられています。この例は、古典の言葉が、学問や生活の実際に結びつけて説明されていたことを示しています。
この故事成語は、「多ければ多いほどよい」「強ければ強いほどよい」と考えがちな心に、ほどよさを思い出させてくれます。足りないことを戒めるだけでなく、熱心さ、親切、努力、準備なども度を越せばかえって害になるという、今の生活にも通じる教えです。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の使い方




「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の例文
- 健康のために運動を始めたが、毎日長時間走りすぎて足を痛め、過ぎたるは猶及ばざるが如しだと反省した。
- 友人を心配して何度も注意した結果、相手を追いつめてしまい、過ぎたるは猶及ばざるが如しと感じた。
- 料理に香辛料を入れすぎて味が分からなくなり、過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉が当てはまった。
- 節約を意識するあまり必要な道具まで買わず、作業が進まなくなったのは過ぎたるは猶及ばざるが如しである。
- 発表をよくしようとして資料を詰め込みすぎると、聞き手に伝わりにくくなり、過ぎたるは猶及ばざるが如しとなる。
- 子どものために手伝いすぎると自分で考える機会を奪ってしまい、過ぎたるは猶及ばざるが如しになる。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・『論語』先進篇。
・世阿弥『拾玉得花』1428年。
・『世話尽』1656年。
・福沢諭吉『学問のすすめ』1872〜1876年。























