【ことわざ】
溺れる者は藁をもつかむ
【読み方】
おぼれるものはわらをもつかむ
【意味】
非常に苦しい立場に追い込まれた人は、頼りになりそうもないものにまで、助けを求めてすがろうとするということ。


【英語】
・A drowning man will clutch at a straw(苦境にある人は、助かるためならどのような機会にもすがる)
【類義語】
・藁にも縋る(わらにもすがる)
「溺れる者は藁をもつかむ」の語源・由来
「溺れる者は藁をもつかむ」は、水に沈みかけた人が、助かりたい一心で、水面に浮かぶ一本の藁(わら)にまで手を伸ばす姿を表したことわざです。藁には人の体を支える力がありませんが、命の危険が迫れば、頼りにならないと分かっているものにも、すがらずにはいられません。その切迫した行動を、窮地(きゅうち)に陥った人の心理に重ねています。
日本で古くから伝わったことわざのようにも思えますが、もとは西洋で広く用いられた表現です。英語では「A drowning man will catch at a straw.」または「A drowning man will clutch at a straw.」といい、ヨーロッパのほかの言語にも、溺れかけた人が頼りないものをつかむという、よく似た表現があります。
現在の形に通じる発想は、イングランドの思想家トマス・モアが1534年に執筆した『苦難に対する慰めの対話』にも出てきます。そこでは、苦難に遭った人が世俗的なものに救いを求める姿を、溺れそうな人が手近なものを何でもつかみ、たとえ頼りない棒でも離さない姿にたとえています。ただし、この段階では「藁」ではなく「弱い棒」であり、現在のことわざと完全に同じ形ではありません。
18世紀になると、現在の英語表現に近い形が定着します。サミュエル・リチャードソンの長編小説『クラリッサ』(1748年)には、「A drowning man will catch at a straw, the proverb well says.」とあります。作中ですでに「ことわざが言うように」と記されているため、このころには「溺れる人は藁をつかむ」という言い回しが、広く知られた表現になっていたことが分かります。
日本では、明治10年(1877年)の訳例に、「水に溺れんとするときは蘆の葉にもすがらんとす」とあります。「蘆(あし)の葉にもすがろうとする」という形で、まだ現在の「藁をもつかむ」とは表現が異なっていました。また、英語の原文にはない「水に」という言葉も補われています。日本語では、酒や色事などに夢中になることも「溺れる」と表していたため、ここでは、水中で溺れる意味だとはっきり示す必要があったと考えられます。
この訳は西洋のことわざとして紹介されましたが、すぐには一般に広まりませんでした。その後、明治20年代に海水浴が盛んになり、それまで武術の一つでもあった水泳を、一般の人々が楽しむようになります。泳げない人が水中で何かに取りすがる光景が身近になったことも、このことわざの情景を理解しやすくしたとされています。
明治30年代に入ると、この表現は新聞小説などに相次いで登場します。徳富蘆花の『黒潮(こくちょう)』(明治36年刊)には、困り果てた人物が必死に頼み込む場面で、「溺るる者は藁でもつかむのである」とあります。ここでは「藁をも」ではなく「藁でも」となっていますが、頼りにならないものにまで助けを求めるという意味は、現在と同じです。
田口掬汀の『女夫波(めおとなみ)』(明治37年)には、「実げに溺るる者は藁をも攫むとやら」とあります。「藁をも」という現在につながる形が使われており、人を頼りにせざるを得ない苦しい立場を表しています。明治後期には、このことわざが西洋の訳文という枠を越え、日本語の文章の中で自然に用いられるようになっていました。
初期には「溺るる者」という文語の形が多く使われましたが、のちに、口語の「溺れる者」へと変わりました。また、「攫む」「摑む」「掴む」などの漢字表記のほか、対象語のように「つかむ」と平仮名で書く形も用いられます。昭和期には、「溺れるものは藁をも摑むとはこのことであろう」のような用例が現れ、現在とほぼ同じ形が定着しています。
このように、「溺れる者は藁をもつかむ」は、西洋のことわざが明治時代に日本へ入り、さまざまな訳し方を経て、新聞小説などを通して広まった表現です。現在では、実際に水に溺れる場面ではなく、追い詰められた人が、わずかな望みを求め、頼りない手段にまで手を伸ばすことを表します。
「溺れる者は藁をもつかむ」の使い方




「溺れる者は藁をもつかむ」の例文
- 資金繰りに行き詰まった店主は、溺れる者は藁をもつかむ思いで、わずかな融資の可能性に望みを託した。
- 大切な書類が見つからず、彼は溺れる者は藁をもつかむように、記憶のあいまいなメモを手がかりに捜し続けた。
- 試合直前に主力選手が欠場し、監督は溺れる者は藁をもつかむ気持ちで、経験の浅い選手を起用した。
- 壊れた展示模型を直す部品がなく、児童たちは溺れる者は藁をもつかむ思いで、古い材料を組み合わせた。
- 救援を求める通信が途絶え、隊員は溺れる者は藁をもつかむように、かすかな無線信号を追った。
- 交渉の期限が迫る中、会社は溺れる者は藁をもつかむ思いで、実現の見込みが低い最後の案を提出した。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・Thomas More『A Dialogue of Comfort against Tribulation』1534年執筆、1553年刊行。
・Samuel Richardson『Clarissa』1748年。
・徳富蘆花『黒潮』1903年。
・田口掬汀『女夫波』1904年。























