【ことわざ】
大男総身に知恵が回り兼ね
【読み方】
おおおとこそうみにちえがまわりかね
【意味】
体ばかり大きく、何事にも愚鈍な人をあざけっていう言葉。


【英語】
・all brawn and no brains(筋力ばかりで知恵がない)
【類義語】
・独活の大木(うどのたいぼく)
【対義語】
・山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょうはこつぶでもぴりりとからい)
「大男総身に知恵が回り兼ね」の語源・由来
「大男総身に知恵が回り兼ね」の「大男」は、普通よりも体格の大きな男を指します。「総身」は体全体という意味で、「回り兼ね」は、行き渡ろうとしても行き渡ることができないという意味です。つまり、体があまりにも大きいため、知恵が全身にまで回らないという、現実にはあり得ない様子をおもしろく表しています。
この言葉は、「大男」が五音、「総身に知恵が」が七音、「回りかね」が五音となり、全体が五・七・五の形に整っています。そのため、川柳のような調子をもち、体の大きさと頭の働きを結び付けた、からかいの言葉として広まりました。川柳の形式を備えた表現が、そのままことわざとして用いられるようになった例の一つです。
文献に出てくる早い例は、河竹黙阿弥作の歌舞伎『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』(1881年・明治時代前期)にあります。この作品は、1881年3月に東京の新富座で初演された七幕の世話物で、講談『天保六花撰(てんぽうろっかせん)』をもとに作られました。
三幕では、「夫の下々で玩ぶ川柳とやら申す雑俳、滑稽者流のざれ言にも」と前置きしたうえで、「大男総身に智慧が廻りかね」と述べています。この台詞は、立派な体格をした人物の判断の鈍さを、庶民の間で親しまれていた川柳風の言葉になぞらえてあざけるものです。
ただし、もとになった川柳の作者や、それを収めた古い句集は明らかではありません。『天衣紛上野初花』の台詞では、すでに人々の間で用いられていた川柳やざれ言として扱われていますが、これより前の川柳関係の出典は示されていません。そのため、河竹黙阿弥が初めて作った言葉と断定することも、特定の川柳作者の作品とすることもできません。
大正時代には、芥川龍之介の『温泉だより』(1925年・大正14年)にも、近い形が出てきます。作中の半之丞は、人がよく、腕も立つ大男でしたが、行動にはどこかおかしなところがあり、「あらゆる大男並に総身に智慧が廻り兼ね」と評されます。火事場へ駆け付けようとして扱いにくい馬に乗り、畑や山を走り回った末に振り落とされる話が続き、この言葉が、人物の判断の鈍さを皮肉る決まり文句として使われています。
古い用例では、「智慧」「廻り」などの表記も使われましたが、現在は「知恵」「回り」と書くのが一般的です。また、「兼ね」を仮名にして、「大男総身に知恵が回りかね」と書く形も広く用いられます。
このことわざは、体の大きな人が本当に愚かだと説くものではありません。大きな体に知恵が行き渡らないという言葉遊びによって、見かけは立派でも判断力が伴わない人物を皮肉った古い表現です。現在、人の体格を理由に能力を決め付ける使い方は相手を傷つけるため、古い作品やことわざの意味を説明する場面などでは、侮りを含む言葉であることも踏まえて用いる必要があります。
「大男総身に知恵が回り兼ね」の使い方




「大男総身に知恵が回り兼ね」の例文
- 古い芝居では、体格ばかり立派で判断の鈍い人物を、大男総身に知恵が回り兼ねと皮肉っている。
- 監督は作戦を理解せず力任せに動く選手を見て、大男総身に知恵が回り兼ねという言葉を思い浮かべた。
- 大男総身に知恵が回り兼ねは、体格と知性を結び付けて人をあざける古いことわざである。
- 祖父は失敗した自分を、大男総身に知恵が回り兼ねだと冗談めかして評した。
- 物語の巨人は見事な体格を誇っていたが、行動は大男総身に知恵が回り兼ねを思わせるものだった。
- 大男総身に知恵が回り兼ねを他人への悪口として使うのは、慎むべきである。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・河竹黙阿弥『天衣紛上野初花』1881年。
・芥川龍之介『温泉だより』1925年。























