【ことわざ】
馬の耳に念仏
【読み方】
うまのみみにねんぶつ
【意味】
馬にありがたい念仏を聞かせてもむだであることから、いくら意見や道理を説いても、少しも効き目がないことのたとえ。


【英語】
・There’s none so deaf as those who will not hear.(聞こうとしない人ほど聞こえない人はいない)
【類義語】
・馬耳東風(ばじとうふう)
・馬の耳に風(うまのみみにかぜ)
・犬に論語(いぬにろんご)
・牛に経文(うしにきょうもん)
・糠に釘(ぬかにくぎ)
【対義語】
・聞く耳を持つ(きくみみをもつ)
「馬の耳に念仏」の語源・由来
「馬の耳に念仏」は、馬にありがたい念仏を聞かせても、その意味やありがたさは馬に通じない、というたとえから成り立っています。念仏(ねんぶつ)は、仏を心に思い浮かべたり、仏の名を口に唱えたりする仏教の言葉で、ふつうは阿弥陀仏を思い、また「南無阿弥陀仏」と唱えることをさします。
このことわざで問題にされているのは、もちろん本当の馬ではありません。馬は比喩であり、聞く気のない人間にどれほど道理を説いても、本人が受け取ろうとしなければむだになる、ということを強く言い表しています。
この表現の背景には、まず中国の古い言葉である「馬耳東風(ばじとうふう)」があります。馬耳東風は、唐代の詩人・李白の詩『答王十二寒夜独酌有懐』にある「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り」という句に由来します。春風が馬の耳を吹いても馬が感動しないように、人がよい言葉や批評を聞いても心に留めないことを表します。
日本では、この「馬耳東風」にもとづく「馬の耳に風」という言い方が使われました。俳諧論書で撰集を兼ねる『毛吹草(けふきぐさ)』(1645年刊、序は1638年・江戸時代前期、松江重頼編)には、「むまのみみに風 うしのまへにしらぶる琴」という用例があります。これは、馬の耳に風が当たっても馬が気に留めないことを、牛の前で琴を弾いても通じないことと並べた言い方です。
一方で、念仏を用いる言い方も広まりました。古くは「馬に念仏」といわれていたものが、江戸中期に、当時よく知られていた「馬の耳に風」と結びつき、「馬の耳に念仏」という日本独自の印象的な表現になって、しだいに広まったものと考えられます。
「馬の耳に念仏」という形そのものの古い用例としては、歌舞伎・浄瑠璃の外題『鶴千歳曾我門松(つるのちとせ そがのかどまつ)』(1865年・江戸時代末期初演、河竹新七二代ほか作)の序幕に、「こんな奴に物をいふのは、馬の耳に念仏だ」とあります。この用例では、相手に何を言っても聞き入れられない、という現在の意味に近い形で使われています。
このように、「馬の耳に念仏」は、中国由来の「馬耳東風」や日本で使われた「馬の耳に風」と、仏教語である「念仏」とが重なって定着したことわざです。ありがたい言葉であっても、相手に受け取る心がなければ届かないという考えが、現在の「いくら意見をしても効き目がない」という意味につながっています。
「馬の耳に念仏」の使い方




「馬の耳に念仏」の例文
- 馬の耳に念仏で、夜更かしを注意されても、兄は毎晩遅くまで動画を見続けた。
- 先生が廊下を走る危険を何度説明しても、馬の耳に念仏のように聞き流す児童がいた。
- 馬の耳に念仏とはこのことで、店長の助言を無視した店員は同じ接客の失敗をくり返した。
- 母が雨の日の川遊びを止めても、馬の耳に念仏で、弟は危険を分かろうとしなかった。
- チームの作戦を守るように言われても、彼には馬の耳に念仏で、自分勝手な動きばかりした。
- 祖父が道具の手入れの大切さを話しても、馬の耳に念仏で、いとこは釣りざおをぬれたまま放っておいた。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・円満字二郎編『四字熟語を知る辞典』小学館、2018年。
・近藤いね子・高野フミ編集主幹『小学館 プログレッシブ和英中辞典 第4版』小学館、2011年。
・松江重頼編『毛吹草』1645年。
・李白『答王十二寒夜独酌有懐』唐代。
・河竹新七二代ほか『鶴千歳曾我門松』1865年。























