「淵中の魚を知る者は不祥なり」の意味(出典・語源由来)
【ことわざ】
淵中の魚を知る者は不祥なり
「淵中の魚を察見するは不祥なり」ともいう。
【読み方】えんちゅうのうおをしるものはうしょうなり
【意味】
物事を細部まで知るのはよくない。政治を行う時は、要所を押さえて行えばよいということ。
「淵中の魚を知る者は不祥なり」ということわざは、物事のすみずみまでを知り尽くすのは良くないという意味があるんだよ。
そうかいな。つまり、「物事の細かい部分まで知り尽くすのは良くない」ってことやな。政治とかでいうと、詳細まで細かく知りすぎると、それがあだとなって不運を引き寄せるかもしれへんってことやな。
大事なのは、細部にこだわるんじゃなくて、大事なポイントをしっかりと押さえることやね。このことわざ、なかなか深いな。
【語源由来】
淵にひそむ魚を見通せるものは、それが仇となり不運に見舞われる。
【出典】
「韓非子」
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「淵中の魚を知る者は不祥なり」の解説
カンタン!解説
「淵中の魚を知る者は不祥なり」っていうことわざは、全てのことを細かく知ろうとするのはいつも良いことじゃないよ、っていう意味だよ。
たとえばね、池や湖の底の魚まで見えちゃうくらい、すごく詳しい人がいたとしよう。でも、その人が全部の細かいことを知ってると、大事なことを見落とすかもしれないんだよ。だから、大切なのは全体を見て、大事なところだけを押さえて物事を進めることなんだ。
特にね、リーダーとか政治をやってる人にとってはすごく大切なことなんだよ。細かいところばかり気にしてたら、大事な目標を見失っちゃうかもしれないからね。だから、このことわざは、「全部を細かく知り尽くすよりも、大事なところを押さえることが大切だよ」って教えてくれてるんだよ。
「淵中の魚を知る者は不祥なり」の使い方
本当に知りたい?
秘密と言われると知りたくなるよ。
淵中の魚を知る者は不祥なりというわよ。知ったら身のためにならないかもしれないわよ。
知ったら引き返せないんだね。やめておくよ。
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「淵中の魚を知る者は不祥なり」の例文
- 世の中知らなくていいこともある。淵中の魚を知る者は不祥なりというよ。
- 他人の心を深読みすることができる人は淵中の魚を知る者は不祥なりで、出世できなかったり長生きできない。
- 察して気を配るのは素敵な才能だが、淵中の魚を知る者は不祥なりという。ほどほどにしないと察しすぎてその身があぶなくなる。
- 古今東西、淵中の魚を知る者は不祥なりといい、察しが良い者は消されることが多い。
- 「君は知り過ぎた。生かしておくわけにはいかない」というドラマのワンシーンのような目にあいたくなければ、淵中の魚を知る者は不祥なりだ。