【ことわざ】
縁の下の舞
【読み方】
えんのしたのまい
【意味】
人が見ていないところで、むなしく苦労することのたとえ。陰で骨を折っても、目立たず、報われにくい働きをいう。


【英語】
・a thankless task(報われにくく、感謝されにくい仕事)
【類義語】
・縁の下の力持ち(えんのしたのちからもち)
・無駄骨を折る(むだぼねをおる)
・徒労(とろう)
【対義語】
・表舞台(おもてぶたい)
・晴れ舞台(はれぶたい)
「縁の下の舞」の語源・由来
「縁の下の舞」は、大坂四天王寺の経供養(きょうくよう)で行われた舞楽(ぶがく)に関わる言葉です。古くは、陰暦三月二日、一説には二月二十二日に、聖霊院(しょうりょういん)で催された舞楽の名として使われました。
経供養は、日本にお経が伝来したことを記念して始められた舞楽法要です。現在の四天王寺でも、写経を奉納し、舞楽を行う法要として受け継がれています。
この舞楽は、昔は非公開で、太子殿の椽(えん)の下の庭で舞われたため、「椽の下の舞」という別名をもちました。人に見えない場所で行われる舞であったことが、後の比喩的な意味につながりました。
「縁の下の舞」の古い用例として、俳諧集『犬子集(えのこしゅう)』(1633年・江戸時代前期、松江重頼編)に「椽の下の舞かや庭にとぶ蝴蝶〈親重〉」という句が出てきます。この句は、実際の舞楽に関わる表現が、早い時期から俳諧にも取り入れられていたことを示します。
また、『遠碧軒記(えんぺきけんき)』(1675年・江戸時代前期、黒川道祐著)にも、この舞楽に関わる記述が伝わります。四天王寺の年中行事として知られた舞が、季節の行事や俳諧の題材としても意識されていたことが分かります。
もとの「椽」は、現在よく使う「縁側の縁」とは別の字です。しかし、音が同じ「えん」であるため、後に「縁の下」と書かれる形が広まり、今では「縁の下の舞」という表記で理解されることが多くなりました。
この言葉は、はじめから「人を立派に支える努力」をほめる意味だけで使われたわけではありません。舞台の上ではなく、見物人の目にふれにくい庭で非公開に舞われたことから、「人が見ていないところでむなしく苦労すること」のたとえになりました。
この点で、「縁の下の舞」は、現在よく使われる「縁の下の力持ち」と少し違います。「縁の下の力持ち」は、今では目立たない所で重要な役割を果たす人をほめる意味で使われますが、「縁の下の舞」は、もとの意味では報われにくい苦労の側面を強く表します。
江戸時代の随筆には、「垣下座(えんかのざ)」という舞人や楽人の座に関わる言葉から、「垣下の舞」を「縁の下の舞」と誤ったのではないか、という説も記されています。由来については、四天王寺の経供養に関わる説明と、語形の混同を考える説明が並んで伝わってきたといえます。
いずれの説明でも大切なのは、人目につかない場所で舞うという具体的な情景です。そこから、せっかく力を尽くしても見てもらえず、苦労がむなしくなるという意味が生まれました。
現在このことわざを使うときは、単に「陰でがんばる人をほめる」というより、努力が人に知られなかったり、結果に結びつかなかったりする残念さを含めると、言葉の持ち味がよく伝わります。
「縁の下の舞」の使い方




「縁の下の舞」の例文
- 夜遅くまで資料を整えたが、会議で使われず、縁の下の舞に終わった。
- 友人のために席を取っておいたのに、予定が変わって来なかったので、縁の下の舞になった。
- 地域行事の準備を黙って進めたが、担当が変更され、縁の下の舞となった。
- せっかく舞台裏で道具をそろえたのに、演目が中止されて縁の下の舞になった。
- 兄の自由研究を手伝って資料を集めたが、別のテーマに変わり、縁の下の舞に終わった。
- 会社の発表資料を早めに作ったものの、方針が変わって使われず、縁の下の舞となった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松江重頼編『犬子集』1633年。
・黒川道祐『遠碧軒記』1675年。
・和宗総本山四天王寺『経供養』。
・Merriam-Webster『Merriam-Webster.com Dictionary』Merriam-Webster、2026年。























