荀子は、戦国時代末の中国の儒家で、趙の出身であり、名は況、尊称として荀(孫)卿とも呼ばれます。彼は一時期斉の「稷下の学」に所属し、後に楚に移住し、蘭陵で小吏として生活して客死しました。
彼の主著である『荀子』は20巻、32編からなり、荀況自身及びその学派の著作を集録しています。
荀子は「性悪説」を唱え、孟子の「性善説」に反対する立場を取っていました。しかし、人間が本来悪であるとしながらも、礼と楽を中心とした訓練を通じて人間を徳化することができると主張しました。
彼の思想の核心は、人間は努力を積み重ねることで善でも悪でもなれるという考え方であり、天命思想を退け、人間の運命は天界の影響ではなく、人間自身の努力や礼を重視する考えを持っていました。この思考は、弟子である韓非子や李斯の思想にも影響を与えました。
性悪説を唱えたために、長らく中国の思想界では『荀子』は読まれることが少なく、その研究は清朝時代まで進展しなかったとされます。