ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)。エッセイスト。学習院大学非常勤講師として「ことわざの世界」を講義した(2005年から断続的に2017年3月まで)。用例や社会的背景を重視し、日本のことわざを実証的に研究する。
“風が吹けば桶屋がもうかる”の笑い
「風が吹けば桶屋(おけや)がもうかる」という、ことわざを聞いたことがありますか?はじめて聞いたのでは、どういうことなのか、 よくわかりませんね。
強い風が吹いたとしても、もちろん、すぐに桶屋が儲かるわけはありません。屋根屋なら、風が吹きあれると、瓦(かわら)が飛んだり屋根がいたんで修繕(しゅうぜん)をたのむお客さんがふえるので、もうかるのもわかりますね。
では、なぜ、桶屋がもうかるというのでしょう。このことわざは、なぜ、どうして、と質問されることを予想して、答えを用意しています。ちょっと長くなりますが、その説明(桶屋物語ともいわれます)を聞いてみましょう。
風 (「大風」のことです)が吹くと、砂などを含む土ぼこりが空に舞い上がり、目を病(や)んで失明する人も出ます。ふつうの仕事ができなくなるので、三味線(しゃみせん)を習う人がふえます。三味線は猫の皮を張った楽器なので、猫の数がへり、ネズミがふえます。
ネズミは、天敵の猫がいないので、あばれまわって桶をかじり、桶屋が儲かるという話です。古くは、「箱屋がよろこぶ」ともいいました。箱屋は木の箱(重箱や食器を入れる木箱など)を売る商売ですから、ことわざの意味にかわりはありません。
なんだか回りくどい理屈ですが、ほんとうでしょうか? 風が吹いて舞い上がった土ぼこりで目を悪くし、失明する人が多く出て、三味線を稽古するなんて、いまでは想像もつきませんね。まずありえない話と思うでしょう。
しかし、このことわざが使われはじめた江戸時代、とくに江戸(いまの東京)では、そう簡単に否定できない次のような事情がありました。
当時は、冬の空っ風で吹き上げられる砂まじりの土ぼこり(土煙ともいう)がひどく、そのために昼間でも暗くなり、先が見えなくなることもあったのです。道路は舗装(ほそう)されてなく、人家の近くに畑や荒れ地も多かった時代でした。
土や砂粒が目に入って、目を病む人も出たのはたしかでしょう。眼科の医術が発達していなかったので、きちんとした治療が受けられず、売薬や薬師如来(やくしにょらい。病気をなおしてくれる仏様)にすがるだけで、失明してしまう人も少なくなかったようです。
目が不自由になると、これまでの仕事が続けられなくなり、芸能の道に入り、三味線を習う人がふえたのも事実でしょう。三味線は琉球(沖縄)から入ってきた当時流行の楽器で、目が不自由でも腕をみがけば食べていくことができたのです。
また、ネズミは前歯が伸びつづけるので木をかじって研(と)ぐ習性があり、樹木や木造の家屋にも被害が出ていましたから、桶をかじることもありうるでしょう。
このような背景を考えると、“風が吹けば桶屋がもうかる”というのは、まったくありえない話ではなく、あっても不思議はない感じがしてきます。
ただし、猫がへり、ネズミがふえるところまでは、かろうじて理屈がとおりますが、ネズミが桶をかじって…となると、かなり怪しくなってきます。ネズミは、とくに桶を好むわけではありません。さらに桶屋がもうかるとなると、こじつけか妄想(もうそう。ありもしないことを勝手に想像すること)といわざるをえないでしょう。
実際に一儲けしようと桶屋や箱屋をはじめると、人には笑われ、本人は大損するのがオチでしょう。弥治さん喜多さんが珍道中をくりひろげる『東海道中膝栗毛』には、箱屋で大もうけしようとして、全財産をはたいて箱を仕入れたのにまったく売れず、食うに困って六部(ろくぶ。経文をとなえて銭をもらう巡礼)になった男の話が出てきます。
では、なぜ、このようなことわざが生まれ、江戸時代から今日まで使われてきたのでしょうか? このことわざのルーツをたどっていくと、17世紀の末に笑い話を集めた本(「初音草噺大鑑」)に行き着きます。
笑い話では、桶屋は指し物屋(家具職人)になっていますが、風が吹くことにはじまる理屈は同じで、ネズミが家具をかじるので注文が舞い込むと語っています。つまり、回りくどい理屈をこねて、実現性のほとんどないもうけ話を得々と語る男を笑ったものでした。
ことわざは、こうした笑い話をたくみに要約したものといってよいでしょう。笑い話と一体になって、回りくどいストーリーにはまったく反論せず、発端(ほったん)と結論だけを取り出し、そのまま結びつけることによって、もうけ話を笑い飛ばすのです。
見事なレトリック(表現方法)ですが、この表現が300年以上の長きにわたって引き継がれてきたのには、もう少し別の要因もありそうです。
一つは、何かが起きることによって、まったく無関係と思われるものにも意外な影響がおよぶことを暗に教えてくれることです。物理学者で随筆家の寺田寅彦は、宇宙のなかのあらゆる現象は無限にあるが、これらは互いになんらかの影響関係があるとして、「風が吹いて桶屋が喜ぶ」もあながち無意義なことではない、と述べています。
もう一つは、桶屋の愚かさは笑って終わりではなく、じつは私たち自身も同じ愚かさを共有しているのではないか、という疑問です。物事を観察し、因果関係をたどり、仮説をたてて、計画をなしとげようとすることは、金もうけとかぎらず、人間の営(いとな)みに共通するものでしょう。そうした可能性をさぐろうとするとき、ともすると、私たちは過大な夢ばかり追求し、不都合な事実には目をふさぎがちです。ことわざは、他人を批判するだけでなく、自らの弱点にも目をひらいてくれるのです。
ことわざは、常識の枠をこえて、さまざまな物事を根本から考え直すきっかけにもなるといってよいでしょう。(2026/5/4)
©2026 Yoshikatsu KITAMURA
【北村孝一先生のその他のコラム記事】
- 初夢と「一富士二鷹三茄子」
- 「暑さ寒さも彼岸まで」の背景
- “鉄は熱いうちに打て”の常識を見直す
- “好きこそ物の上手なれ” の眼差(まなざ)し
- “地震雷火事親父”のレトリック
- 「犬も歩けば棒に当たる」の二つの意味
- 暗喩が生きる「一寸先は闇」
- “三度目の正直”は幸運といえるか
- 「寝耳に水」の水とは?
- “猿も木から落ちる”と子どもたちの笑顔
- “わが身をつねって人の痛さを知れ” と北条重時
多くのことわざ資料集を監修し、『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館、2012)を編纂・監修した。後者を精選しエッセイを加え、読みやすくした『ことわざを知る辞典』(小学館、2018)も編んでいる。視野を世界にひろげ、西洋から入ってきた日本語のことわざの研究や、世界のことわざを比較研究した著書や論考も少なくない。近年は、研究を続けるほか、〈ミニマムで学ぶことわざ〉シリーズ(クレス出版)の監修や、子ども向けの本の執筆にも取り組んでいる。
主な編著書
『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館)、『ことわざを知る辞典』(小学館)、『世界のふしぎなことわざ図鑑』(KADOKAWA)、『ミニマムで学ぶ 英語のことわざ』(クレス出版)、『ことわざの謎 歴史に埋もれたルーツ』(光文社)、『世界ことわざ辞典』(東京堂出版)、『英語常用ことわざ辞典』(武田勝昭氏との共著、東京堂出版)など。
北村孝一公式ホームページ
ことわざ酒房(http://www.246.ne.jp/~kotowaza/)














