「姑の十七見た者がない」の意味(語源由来・類義語)
【ことわざ】
姑の十七見た者がない
【読み方】
しゅうとめのじゅうしちみたものがない
【意味】
姑の自慢話はあてにならないということ。
昔の話は証明できひんから、ちょっと盛って話すこともあるってわけやね。昔の話は人の記憶によるから、どれだけ本当かはなんとも言えへんってことや。
【語源・由来】
姑は自分の若いことを引き合いにだして、自慢したり嫁に小言をいうが、それを見た者はいないがら本当かどうかはわからないということから。
【類義語】
・親の十七子は知らぬ
「姑の十七見た者がない」の解説
「姑の十七見た者がない」というのは、姑がよく自分が若い頃の話をして、どれだけ素晴らしかったかを自慢するけれど、その当時のことを実際に見た人はもういないから、本当のところがどうだったのかは誰にもわからないっていうことわざなんだよ。
例えばね、おばあちゃんが「私が若い頃は、もっときれいだったのよ」とよく話しているけど、実際にその頃のおばあちゃんを見た人はもういないから、その話が本当かどうかは確かめようがないんだ。
これはね、人が昔のことを話すときにはちょっと誇張して話すことがあるっていう人間の性質を表しているんだよ。だから、昔の話はそのまま信じないほうがいいって教えてくれていることわざなんだね。
「姑の十七見た者がない」の使い方
「姑の十七見た者がない」の例文
- 姑は若いころの自慢話をするが、姑の十七見た者がないから真相はやぶの中だ。
- 姑の十七見た者がないので、姑の言うことは話半分に聞いておく。
- 真偽のほどは姑の十七見た者がないからわからないが、丁寧に相槌を打たないと機嫌を損ねるのでちゃんとしておく。
- 昔は小野小町の再来といわれたほどきれいだったそうだが、姑の十七見た者がないので本当はどうだか。
- 姑は昔のことを自慢げに話すが、姑の十七見た者がないから八割以上作り話だと思っている。