「事ある時は仏の足を戴く」の意味(類義語)
【ことわざ】
事ある時は仏の足を戴く
【読み方】
ことあるときはほとけのあしをいただく
【意味】
信仰心がない人でも、困難な状況に陥ると仏の足下にひれ伏して助けを求めるということ。
まあ、困ったときはどこかしらに助けを求めたくなるもんやね。でも、その感謝の気持ちを忘れへんようにせんとな。
【類義語】
・急なれば則ち仏脚を抱く
・苦しい時の神頼み
・叶わぬ時の神叩き
「事ある時は仏の足を戴く」の解説
「事ある時は仏の足を戴く」っていう言葉はね、通常時はあまり信じていなかったり、興味を示さないことに、困った時やピンチの時にだけ頼ろうとする人の態度を示すたとえだよ。
例えば、普段は勉強をしないで遊んでばかりの子が、テスト前日になって突然、必死に勉強したり、お祈りをしたりするのはこの言葉に当てはまるね。また、普段はお寺や神社に行かない人が、何か困ったことや願い事があるときだけお参りに行くのも、この言葉の意味するところだよ。
「仏の足」は仏像の足を意味していて、「戴く」は頭の上に乗せるという意味。つまり、困った時だけ仏の足元にひれ伏して助けを求める、っていう姿をイメージしてるんだ。
このことわざは、人が困った時や自分の都合が悪い時だけ信仰や他人の助けを求めることの皮肉を言っているんだよ。
「事ある時は仏の足を戴く」の使い方
「事ある時は仏の足を戴く」の例文
- 苦しい時の神頼みや事ある時は仏の足を戴くことだと自分でもわかっているので、お賽銭をはずむ。
- 普段は神様なんていないと豪語しているのに、事ある時は仏の足を戴くとは情けない。
- 事ある時は仏の足を戴くようでは救いの手が差し伸べられるのは、信心深い人の後になるだろうね。
- 普段から祈りを捧げている人と、事ある時は仏の足を戴く人で祈りの効果に違いがあるのか研究する。
- 事ある時は仏の足を戴く人の願いをかなえるほど神様は暇ではない。