【故事成語】
悪の易ぶるや火の原を燎くが如し
【読み方】
あくののぶるやひのはらをやくがごとし
【意味】
悪い行いや悪い流れは、いったん広がり始めると、野火のように勢いを増して止めにくいということ。


【英語】
・spread like wildfire(野火のように広がる)
・be impossible to contain once it spreads(広がり始めると抑えられない)
・unchecked evil grows out of control(放っておいた悪が手に負えなくなる)
【類義語】
・燎原の火(りょうげんのひ)
・悪事千里を走る(あくじせんりをはしる)
【対義語】
・善は急げ(ぜんはいそげ)
・悪は延べよ(あくはのべよ)
・積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
「悪の易ぶるや火の原を燎くが如し」の故事
この故事成語は、悪いものが広がる速さと恐ろしさを、野原を焼き広がる火にたとえた言い方です。短い一文ですが、いったん悪が勢いづくと近づくことさえ難しくなり、止めるのはいっそうむずかしい、という強い警告がこめられています。
もとになっている古い発想は、『書経』の商書『盤庚上』にさかのぼります。そこでは、火が原野に燃え広がれば近づくこともできない、というたとえで、乱れやうわさが広がる危うさが語られています。
そのイメージが、後に『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』の隠公六年の記事の中で、悪が広がる恐ろしさを語る言葉として引かれました。隠公六年は紀元前717年(魯の隠公六年・春秋時代)に当たります。
『春秋左氏伝』の記事では、鄭が陳に和を求めたのに、陳の君主はそれを受け入れませんでした。家臣は、仁ある者と親しみ、隣国とよく交わることは国の宝だと進言しましたが、君主は聞き入れず、のちに鄭の侵攻を受けて大きな損害を出します。
この出来事を評した文の中で、「善は失ってはならず、悪は長びかせてはならない」という考えがまず示されます。続いて『商書』のことばとして、「悪之易也、如火之燎于原、不可鄉邇、其猶可撲滅」と引かれ、悪が広がるありさまは原の火のようで、近づくこともできず、まして消し止めるのはなおさら難しい、と説かれます。
大事なのは、この話が、悪事は大きくなってからでは遅い、と教えている点です。まだ小さいうちに断たなければ、火が枯れ草を伝って一気に広がるように、悪い流れも人から人へ、場から場へと広がってしまいます。
同じくだりには、国を治める者は悪を見たら、農夫が草をぬくように根から絶たねばならない、という言葉も続いています。つまり、悪を大ごとにしないためには、芽のうちに取り除くことが肝心だと述べているのです。
日本語では、この教えが長い形のまま受けつがれたほか、より短い「燎原の火」という言い方も広まりました。「燎原の火」は、次々に広がって止められないもののたとえとして今も使われています。
また、日本語の形には「悪の易きや火の原を燎くが如し」とするものと、「悪の易ぶるや火の原を燎くが如し」とするものがあり、書き方にゆれ(書き方の違い)があります。どちらも、悪が広がりやすいことを火の勢いにたとえる点は変わりません。
ここでいう「悪」は、ただ重い犯罪だけを指すとは限りません。うそ、根も葉もないうわさ、見て見ぬふりで広がるいじめ、少しの不正を黙って許すことなど、放っておくうちに人や場を荒らしていくもの全体をふくめて考えると、この故事成語の意味がよく分かります。
そのため、この故事成語は、一人の失敗をきびしく責めるためのことばというより、悪い流れを早く止めよという戒めとして読むのが自然です。小さな火を軽く見ないように、小さな悪もまた軽く見てはならないという教えが、この一文にははっきり表れています。
「悪の易ぶるや火の原を燎くが如し」の使い方




「悪の易ぶるや火の原を燎くが如し」の例文
- 根も葉もないうわさが学年中に広がる速さは、悪の易ぶるや火の原を燎くが如しというべきものだった。
- 小さな不正を見逃した結果、まねをする者が増えた校内の様子は、悪の易ぶるや火の原を燎くが如しを思わせた。
- 会社で一人の規則違反をそのままにしたため、職場全体の気のゆるみが広がり、悪の易ぶるや火の原を燎くが如しとなった。
- SNSで悪意ある書きこみが次々に拡散したとき、悪の易ぶるや火の原を燎くが如しという古い言葉が今にも当てはまると感じた。
- 家の中で乱暴なことばづかいをだれも注意しなければ、悪の易ぶるや火の原を燎くが如しで、けんかも荒れやすくなる。
- 地域の集まりで差別的な冗談を笑って流したことが、悪の易ぶるや火の原を燎くが如しの結果を招いた。























