【故事成語】
国破れて山河あり
【読み方】
くにやぶれてさんがあり
【意味】
戦乱によって国や町が荒れ果てても、山や川などの自然は変わらず残っているということ。戦争による破壊を嘆き、人間の営みのむなしさを表す言葉。


【英語】
・The country in ruins, rivers and mountains continue.(国は荒れ果てても、川や山は残っている)
「国破れて山河あり」の故事
「国破れて山河あり」は、中国・唐代の詩人、杜甫の漢詩『春望(しゅんぼう)』の冒頭にある「國破山河在」を訓読した言葉です。『春望』は五言律詩(ごごんりっし)で、「國破山河在、城春草木深」と始まります。日本では、「国破れて山河在り、城春にして草木深し」と読み継がれてきました。
杜甫は712年に生まれ、770年に没した盛唐の詩人です。社会の混乱や民衆の苦しみを深く詠み、その作品は、時代の姿を詩によって伝える「詩史」とも呼ばれました。
755年、唐の武将である安禄山が反乱を起こし、翌年には都の長安が反乱軍に占領されました。杜甫は新たな皇帝のもとへ向かう途中で反乱軍に捕らえられ、長安にとどめられます。そのような状況の中で、757年の春に作ったのが『春望』です。
冒頭の「國破山河在」は、国や都は戦乱によって壊されたが、山や川は昔と変わらず存在している、という意味です。続く「城春草木深」は、荒れ果てた長安にも春は訪れ、手入れする人を失った草木が深く生い茂っている光景を表します。
山河や草木が残っていることは、ここでは単なる喜びではありません。変わらず春を迎える自然と、戦争によって破壊された人々の暮らしとを並べることで、都の荒廃と人間の営みのはかなさが、いっそう強く伝わってきます。
詩はさらに、「時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」と続きます。本来なら人を楽しませる花や鳥さえも、戦乱の悲しみや家族との別れを思い起こさせるため、杜甫は涙を流し、心を痛めたのです。
続く「烽火(ほうか)三月に連なり、家書(かしょ)万金に抵(あた)る」は、戦いを知らせるのろしが長く続き、離れて暮らす家族からの手紙が、大金にも代えられないほど貴重であることを表します。最後には、心労で白髪が薄くなり、冠を留める簪(しん)さえ挿せなくなりそうな自分の姿を詠んでいます。
この冒頭の一句は、中国の一つの戦乱を詠んだ言葉でありながら、戦争によって町や生活を失う人々の悲しみを広く表すものとして、日本でも長く親しまれました。「在り」を平仮名で書いた「国破れて山河あり」という形も定着しています。
松尾芭蕉は、『おくのほそ道』(1702年・江戸時代中期、松尾芭蕉著)の「平泉」で、滅びた奥州藤原氏や源義経ゆかりの跡を訪れました。かつて栄えた建物は失われ、辺りには草が生い茂っていたため、芭蕉は「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と記し、長い間、涙を流したのです。
芭蕉の「城春にして草青みたり」は、『春望』の「城春にして草木深し」をそのまま写した形ではありません。杜甫の『春望』を踏まえながら、別の漢詩の言葉も重ねた表現とされています。そのあとに置かれた「夏草や兵どもが夢の跡」も、人の栄華は消えてしまったのに、草だけが生い茂っているという無常を詠んでいます。
近代以後も、この言葉は、戦争で荒れ果てた町を前にした悲しみを表すものとして用いられました。特に第二次世界大戦後には、焼け野原となった土地に立った多くの人々が、「国破れて山河あり」の一句を、深い実感とともに思い起こしました。
このように、「国破れて山河あり」は、自然の変わらぬ姿をたたえるだけの言葉ではありません。戦争によって国や暮らしを壊してしまう人間の愚かさを嘆き、それでも残る山河を前に、歴史の無常と平和の大切さを考えさせる言葉です。
「国破れて山河あり」の使い方




「国破れて山河あり」の例文
- 戦火で焼け落ちた町の向こうに昔と変わらぬ山々を見て、老人は国破れて山河ありとつぶやいた。
- 国破れて山河ありという一句には、戦争で人々の暮らしが失われた悲しみが込められている。
- 歴史家は、荒廃した都を写した一枚の写真を国破れて山河ありの光景だと表した。
- 国破れて山河ありを思わせる城跡には、かつての戦いを知らぬ草木が生い茂っていた。
- 戦争から帰った父は、焼け野原となった故郷を見て国破れて山河ありの言葉を思い出した。
- 国破れて山河ありという言葉を学び、子どもたちは戦争が町と暮らしを壊す恐ろしさを考えた。
主な参考文献
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・下定雅弘・松原朗編『杜甫全詩訳注 第一冊』講談社、2016年。
・黒川洋一編『杜甫詩選』岩波書店、1994年。
・杜甫『春望』757年。
・松尾芭蕉『おくのほそ道』1702年。























