【故事成語】
来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れ
【読み方】
きたるものはこばむことなかれ、さるものはおうことなかれ
【意味】
自ら進んで来る者を拒まず、自ら去ろうとする者を追いかけて引き止めず、来るのも去るのも本人の意志に任せること。


【類義語】
・往く者は追わず、来る者は拒まず(ゆくものはおわず、きたるものはこばまず)
・来る者は拒まず、去る者は追わず(きたるものはこばまず、さるものはおわず)
「来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れ」の故事
「来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れ」という形に直接つながる言葉は、『春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)』の隠公二年に付けられた、後漢の学者・何休(かきゅう)の注に出てきます。何休は129年に生まれ、182年に没した学者で、『春秋公羊伝解詁』を著しました。
『春秋』の隠公二年には、紀元前721年の春、魯の隠公が潜という土地で戎(じゅう)と会ったことを、「二年春、公会戎于潜」と記しています。戎は、当時の中国の諸国が周辺の異民族を呼んだ名称の一つです。
何休は、この一文への注で、「王者不治夷狄、録戎者、来者勿拒、去者勿追」と述べています。王道を行う君主は、周辺の異民族を無理に支配しようとはせず、戎の側から近づいて来たなら拒まず、去って行くなら追いかけない、という趣旨です。
したがって、もとの文脈は、個人どうしの交際について述べたものではありません。国や民族の関係において、相手が自ら近づく意志を示したときは受け入れ、離れようとするときは、力ずくで引き止めないという姿勢を表していました。
これとは別に、さらに古い『孟子(もうし)』(戦国時代、紀元前4〜3世紀ごろ成立)の「尽心下」には、よく似た「往者不追、来者不距」という言葉が出てきます。こちらでは、去る者を先に、来る者を後に置いており、表記も「拒」ではなく「距」を用いています。
孟子が滕(とう)の国を訪れ、上宮という宿舎に滞在していたときのことです。窓辺に置かれていた履物がなくなり、宿舎の者が捜しても見つからなかったため、孟子に付き従う者が隠したのではないかと疑う人がいました。
すると、孟子の一行の者は、孟子が学ぶ者を受け入れる方針について、「往く者は追わず、来る者は拒まず」と答えました。孟子のもとを去る者を無理に連れ戻すことはなく、教えを求める心で来る者なら受け入れるため、さまざまな人物が集まっていても不思議ではない、という意味です。
この『孟子』の言葉は、もともと、誰でも無条件に信頼するという意味ではなく、学ぼうとする意志をもって訪れる者には門を閉ざさないという、教育上の態度を表していました。同時に、学ぶ意志を失って去る者を、力ずくで引き止めない姿勢も示しています。
北宋の文人・蘇軾(そしょく)は、1061年に作った「王者不治夷狄論」で、何休の注を踏まえ、「来者不拒、去者不追」と記しました。「勿拒・勿追」が「不拒・不追」に変わり、現在よく使われる「来る者は拒まず、去る者は追わず」と同じ順序と形が整っています。
蘇軾は、戎が自ら会見を求めて来たことを受け入れ、その礼儀を厳しく責めすぎて、怒らせるべきではないと論じました。相手を無理に従わせるのではなく、近づいて来る意志を尊重することが、かえって争いを防ぐという考えです。
日本語では、「来者勿拒、去者勿追」を読み下した「来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れ」のほか、「来る者は拒まず、去る者は追わず」という形が広く使われるようになりました。「こと勿れ」の形は、相手の自由な意志を妨げてはならないという戒めを、はっきりと示しています。
『幽霊塔(ゆうれいとう)』(1901年・明治時代、黒岩涙香著)には、疎遠になった人や恨みのある人にも招待状を送り、「来る者は拒まず」という開放的な方針を取ったという用例が出てきます。このころには、国や師弟の関係に限らず、人付き合いや集まりへの参加を広く受け入れる意味へと、用法が広がっていました。
このように、「来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れ」は、周辺の国や民族との接し方を説いた何休の言葉と、学ぶ者を受け入れる孟子の姿勢が重なりながら定着した表現です。現在では、人との縁や集団への参加を無理に支配せず、本人の選択に任せる態度を表します。
「来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れ」の使い方




「来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れ」の例文
- 地域の読書会は、来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れを方針とし、参加も退会も本人の判断に任せている。
- 祖父は来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れを信条とし、訪ねて来た人をいつも温かく迎えた。
- 部長は来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れと考え、新入部員を歓迎する一方、退部する生徒を責めなかった。
- 来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れという姿勢で運営された集まりには、さまざまな立場の人が参加した。
- 店主は来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れを大切にし、常連客にも初めての客にも分け隔てなく接した。
- 友人との関係に執着しすぎない彼女は、来る者は拒むこと勿れ、去る者は追うこと勿れを自分への戒めとしていた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・何休『春秋公羊伝解詁』後漢。
・『孟子』戦国時代成立。
・蘇軾『王者不治夷狄論』1061年。
・黒岩涙香『幽霊塔』1901年。























