【故事成語】
家其の所に足る者は、聖人に従わず
【読み方】
いえそのところにたるものは、せいじんにしたがわず
【意味】
今の暮らしや状態に満足すると、それ以上によくなろうとして、すぐれた教えに従おうとしなくなること。足りていると思う気持ちが、向上心を弱めるたとえ。


【英語】
・People content at home do not follow sages(足りている者は、すぐれた教えに従いにくい)
・Contentment can dull the desire to learn(満足しすぎると学ぶ気持ちが弱くなる)
・Those who feel they have enough stop seeking higher guidance(足りていると思うと、より高い教えを求めなくなる)
【類義語】
・安きに居りて危うきを忘る(やすきにおりてあやうきをわする)
・飽食終日(ほうしょくしゅうじつ)
【対義語】
・衣食足りて礼節を知る(いしょくたりてれいせつをしる)
・恒産あれば恒心あり(こうさんあればこうしんあり)
「家其の所に足る者は、聖人に従わず」の故事
この故事成語は、中国の古い思想を伝える『慎子』の逸文に出てくる言葉です。長い物語から生まれたというより、人の心の動きを短く言い表した一句として伝わっています。
文の形は、もともと「家其所足者不従聖人」です。これを日本語の形にすると、「家其の所に足る者は、聖人に従わず」となります。
ここでいう「家」は、ただ建物を指すのではなく、その人の暮らしや家庭全体のことです。「其の所に足る」は、今の生活に不自由がなく、ひとまず足りているという意味になります。
また、「聖人」は、道をよく知り、人々を正しい方向へ導く理想的な人物を指します。つまりこの一句は、暮らしが十分で困っていない人は、すぐれた教えを聞いても、それに従おうとしにくいと言っているのです。
この言葉の大事なところは、貧しいほうがよいとか、足りていることが悪いとか言っているのではない点です。そうではなく、人は今の状態に満足すると、もっと学ぼう、もっとよくなろうという気持ちが弱まりやすい、という心のくせを言い当てています。
古い思想の中では、聖人は人々を教え導く存在として考えられていました。けれども、本人が今のままで十分だと思っていれば、よい教えが目の前にあっても、その必要を感じません。
だからこの一句は、外から立派な教えを与えることより先に、受け入れる側の気持ちが大切だと知らせる言葉でもあります。学ぶ気持ちが動かなければ、どんな教えも力を持ちにくい、ということです。
この考え方は、昔の政治や学問の場だけの話ではありません。勉強でそこそこの点が取れたとき、仕事で失敗が少なくなったとき、生活が安定したときなど、人はそこで歩みを止めやすくなります。
そのため、この故事成語は、現代では「足りていると思いこんで向上をやめること」へのいましめとして読まれることが多くなりました。満足そのものより、満足のために学ぶ心が止まることを戒めているのです。
似た場面では、安楽にひたって先の心配を忘れることや、満ち足りてだらけることを表す言葉とも重なります。ただ、この故事成語では、とくに「すぐれた教えに従わなくなる」という点がはっきりしているところに特色があります。
つまり、ただ楽をするというだけではなく、もっとよくなれる道があるのに、それを受け入れなくなることまで含んでいるのです。だから、先生や先輩の助言を聞き流す場面、自分の弱点を直さずに満足する場面によく合います。
こうして見ると、「家其の所に足る者は、聖人に従わず」は、人間の弱さを静かに見つめた故事成語だと分かります。今ある安心に甘えすぎず、さらに学ぶ気持ちを持ち続ける大切さを教える言葉なのです。
「家其の所に足る者は、聖人に従わず」の使い方




「家其の所に足る者は、聖人に従わず」の例文
・模試で平均点を少し上回っただけで勉強をゆるめる姿に、家其の所に足る者は、聖人に従わずという言葉が当てはまる。
・店の売り上げが安定したとたん、新しい工夫を聞かなくなれば、家其の所に足る者は、聖人に従わずである。
・生活に困らなくなると助言を軽く見る人に、家其の所に足る者は、聖人に従わずを思い出す。
・部活動で試合に勝てるようになったあと練習の教えを聞かなくなるのは、家其の所に足る者は、聖人に従わずの一例である。
・友人が今の成績で十分だと言って先生の指導を避けたので、家其の所に足る者は、聖人に従わずというほかないと思った。
・社会でも、目先の安定に満足して学びを止める姿は、家其の所に足る者は、聖人に従わずを思わせる。























