【故事成語】
跬歩して休まざれば跛鼈も千里
【読み方】
きほしてやまざればはべつもせんり
【意味】
わずかな歩みでも休まず続ければ、力の劣る者でも遠い目標に到達できるというたとえ。才能や速さよりも、努力を続けることの大切さを表す。


【英語】
・Slow and steady wins the race.(ゆっくりでも着実に進めば成功する)
【類義語】
・継続は力なり(けいぞくはちからなり)
・塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)
・駑馬も十駕(どばもじゅうが)
【対義語】
・三日坊主(みっかぼうず)
「跬歩して休まざれば跛鼈も千里」の故事
「跬歩して休まざれば跛鼈も千里」は、中国戦国時代の思想書『荀子(じゅんし)』「修身」にもとづく故事成語です。『荀子』は、戦国時代の思想家荀況とその学派の著作を集めた書物で、二十巻三十二編から成り、前3世紀ごろに成立しました。
「跬歩」は、ひと足を上げること、半歩、または少し歩くことを表します。大きく進むことではなく、ごく小さな歩みを指す言葉です。
「跛鼈」は、片足の大亀を指します。足が悪く、速く進めないものをたとえることで、力や速さに恵まれない者でも、続ければ遠くまで行けるという考えを表しています。
『荀子』「修身」には、「故蹞步而不休,跛鱉千里;累土而不輟,丘山崇成」とあります。これは、半歩ほどの歩みでも休まず続ければ、足の悪いすっぽんでも千里に達し、土を積むことをやめなければ丘や山も高くできあがる、という意味です。
この言葉の前には、「夫驥一日而千里,駑馬十駕,則亦及之矣」とあります。すぐれた馬は一日で千里を行くが、足の遅い馬でも十日進めばそこに及ぶ、という意味で、速さよりも継続の力を重く見る流れの中に置かれています。
さらに同じ箇所では、一進一退したり、左へ行ったり右へ行ったりすれば、六頭のすぐれた馬でも目的地に着けないと述べています。つまり、能力が高いだけでは十分でなく、同じ方向へ進み続けることが大切だと説いています。
『荀子』「修身」は、人が自分の身を修めるための態度を説く篇です。この故事成語もその中で、才能の差を嘆くより、行うか行わないか、続けるかやめるかが結果を分けるという教えとして出てきます。
また、「跬歩」という言葉は、後に日本語でも「少し歩くこと」「わずかに行くこと」という意味で用いられるようになりました。古い日本語の用例としては、『東帰集』(1364年ごろ・南北朝時代)に「跬歩」が出てきます。
同じ考えは、前漢の書物『淮南子(えなんじ)』「説林訓」にも出てきます。『淮南子』は、前漢の淮南王劉安が編纂させた哲学書で、二十一編から成り、道家思想を基礎に多くの思想を取り入れた書物です。
『淮南子』「説林訓」には、「故跬步不休,跛鱉千里;累積不輟,可成丘阜」とあります。ここでは、『荀子』と近い形で、小さな歩みを休まなければ跛鼈も千里に達し、積み重ねをやめなければ丘もできると述べています。
『荀子』では「蹞步」と書かれ、『淮南子』では「跬步」と書かれています。どちらも、半歩ほどの小さな歩みを表す形として、現在の「跬歩して休まざれば跛鼈も千里」という言い方につながっています。
現在の日本語では、この故事成語は、能力が劣っている人を低く見るための言葉ではありません。むしろ、歩みが遅くても努力をやめなければ大きな成果に近づける、という励ましの言葉として用いられます。
小さな一歩は、その場では目立ちません。しかし、それを休まず重ねることで、足の悪いすっぽんでさえ千里へ至るというたとえになり、継続する努力の尊さを今に伝えています。
「跬歩して休まざれば跛鼈も千里」の使い方




「跬歩して休まざれば跛鼈も千里」の例文
- 毎朝十分だけ読書を続ける姿勢は、跬歩して休まざれば跛鼈も千里そのものだ。
- 走るのが苦手な弟も、毎日の練習を重ね、跬歩して休まざれば跛鼈も千里を実感した。
- 語学の勉強は一日で身につかないため、跬歩して休まざれば跛鼈も千里の心で続けたい。
- 仕事を覚えるのが遅くても、毎日一つずつ改善すれば、跬歩して休まざれば跛鼈も千里となる。
- ピアノの練習を短時間でも続けた結果、跬歩して休まざれば跛鼈も千里の成果が表れた。
- 大きな研究も小さな記録の積み重ねで進むため、跬歩して休まざれば跛鼈も千里という考えが大切になる。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・白川静『字通』平凡社、1996年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・荀況『荀子』戦国時代。
・劉安撰『淮南子』前漢、紀元前2世紀。























