【ことわざ】
金の光は七光
【読み方】
かねのひかりはななひかり
【意味】
金持ちの威光が広く及び、金銭の力によって周囲から重んじられたり、利益を受けたりすること。


【英語】
・Money talks.(金が物を言う)
【類義語】
・金が物を言う(かねがものをいう)
・地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)
・仏の光より金の光(ほとけのひかりよりかねのひかり)
「金の光は七光」の語源・由来
「金の光は七光」の「金」は、黄金という金属ではなく、金銭や財産を指します。「光」は、実際に目に見える明るさではなく、勢力のある者が周囲に及ぼす力、すなわち「威光」の意味で使われています。
したがって、「金の光」とは、金銭を持つ人が、その財力によって人や物事を動かす力を表します。「黄金の光」という言い方にも、金色の輝きという意味のほかに、金銀の威光や金銭の威力という意味があります。
後半の「七光」は、光が七本あるという数え方ではありません。主君や親などの威光が大きく、そこから生じる恩恵が広く、長く及ぶことを表す言葉です。
「七光」の古い用例は、松江重頼編『毛吹草(けふきぐさ)』(1638年・江戸時代前期)にあります。そこには「おとこのひかりは七ひかり」とあり、力のある男性の威光が周囲にまで及ぶことを表しています。
この段階では、「七光」は金銭だけに結び付いた表現ではありませんでした。人の地位や力から生じる恩恵を、遠くまで届く光にたとえていたのです。
やがて、「親の光は七光」という形が広く用いられるようになりました。増田円水編『誹諧住吉おどり(はいかいすみよしおどり)』(1696年・江戸時代前期)には、「千年もおきたや親の七ひかり」という句が収められています。
「親の光は七光」は、親の社会的地位や名声が高ければ、その子も大きな恩恵を受けるという意味です。ここでは、親本人の力が子にまで及ぶ様子を、光が広がることに重ねています。
明治時代には、泉鏡花の『黒百合』(明治32年)にも、「親の光は七光じゃよ」という用例が出てきます。このころにも、人の威光が関係者にまで及ぶという意味が、はっきりと受け継がれていました。
「金の光は七光」は、この「七光」のたとえを金銭に当てはめた言い方です。親や主君の地位ではなく、財産を持つことによって生まれる威光が、本人だけでなく、周囲にまで広く及ぶ様子を表しています。
日本には、金銭の力を「光」で表すことわざが、ほかにもあります。「仏の光より金の光」は、人の心が仏の教えよりも金銭の力に引かれやすいことをいい、金の影響力の強さを皮肉った表現です。
また、「金が物を言う」は、言葉や道理だけでは動かない物事も、金銭によって思いどおりになることがあるという意味です。『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』三十八編(1807年・江戸時代後期)には、「金はものを言い」という用例があります。
これらの表現はいずれも、金銭には、人の態度や物事の成り行きを変えるほどの力があるという世間の実情を言い表しています。ただし、金銭の力をほめるというよりも、人が財産や富に左右されやすいことを皮肉る場面で使われることの多い言い方です。
このように、「金の光は七光」は、地位や権威の恩恵が広く及ぶことを表す「七光」に、金銭の威力を表す「金の光」を重ねたことわざです。金持ちの力が本人の周囲にまで及び、人々の扱いや物事の進み方を変える様子を、遠くまで届く光にたとえています。
「金の光は七光」の使い方




「金の光は七光」の例文
- 金の光は七光で、資産家の紹介状を見せると、相手の態度が急に丁重になった。
- 多額の寄付をした人物の意見ばかりが通る様子は、まさに金の光は七光であった。
- 金の光は七光というように、財産のある家の者は周囲から特別に扱われていた。
- 取引先まで彼に一目置くのは、金の光は七光というものだろう。
- 金の光は七光とはいえ、財力だけで本当の信頼まで得られるとは限らない。
- 人々が富豪の機嫌ばかりをうかがう姿を見て、祖父は金の光は七光だと苦笑した。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・松江重頼編『毛吹草』1638年。
・増田円水編『誹諧住吉おどり』1696年。
・泉鏡花『黒百合』1899年。























