【ことわざ】
相対の事はこちゃ知らぬ
【読み方】
あいたいのことはこちゃしらぬ
【意味】
当事者どうしで決めたことは、第三者の知るところではなく、責任も負えないということ。前もって相談も説明もない事柄について、あとから始末を求められても応じられない、という意でもいう。


【英語】
・That’s between you two.(それは当人どうしの問題だ)
・It’s none of my business.(それは私の知ったことではない)
・Don’t drag me into it.(そのもめごとに私を巻き込まないでくれ)
【類義語】
・鮎鯛の事は鯒知らぬ(あゆたいのことはこちしらぬ)
・我関せず(われかんせず)
・他人の疝気を頭痛に病む(たにんのせんきをずつうにやむ)
【対義語】
・情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)
・人の振り見て我が振り直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)
・一蓮托生(いちれんたくしょう)
「相対の事はこちゃ知らぬ」の語源・由来
このことわざのいちばん大事な部分は、「相対」と「こちゃ知らぬ」です。「相対」は、もともと当事者どうしが向かい合うことから、話し合って納得し、そのうえで事を決めることを表す言葉でした。
古い文献では、1400年~1402年ごろ(応永7年~応永9年・室町時代前期)の『風姿花伝(ふうしかでん)』に、向かい合う意味の「相対」が出てきます。また、1402年(応永9年・室町時代前期)の『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』には、相談して取り決める意味の「相対」が書かれています。
このことから、「相対」という語は、中世にはすでに「当人どうしが直接話をつける」という意味で広く使われていたことが分かります。のちには、売り買い、金の貸し借り、離縁など、第三者をはさまない取り決めにも用いられるようになりました。
一方、「こちゃ」は「こちは」が変わった言い方です。意味は「こちらは」「わたしは」で、話し手が自分の立場をはっきり示す、ややくだけた言い方でした。
この「こちゃ」という形は、1518年(永正15年・室町時代後期)の『閑吟集(かんぎんしゅう)』に「こちゃしらぬ」と出てきます。つまり、「こちらは知らない」という言い回しそのものは、ことわざよりも前から口語的な表現として親しまれていたのです。
そう考えると、「相対の事はこちゃ知らぬ」は、古くからあった「相対」と「こちゃしらぬ」が結びついてできた言い方だと受け取れます。かたい取り決めを表す語と、くだけた物言いが合わさることで、少しぴしゃりと言い返す響きが生まれました。
江戸時代には、「相対」で済ませるという考え方は社会のしくみの中にもありました。1719年(享保4年・江戸時代中期)には、金銭の争いを当事者どうしで片づけさせる相対済令(あいたいすましれい)も出され、「相対」が公の場でも通じる言葉になっていました。
ただし、この法令そのものが、ことわざの出どころだとまでは言い切れません。けれども、当人どうしで決めたことは当人どうしで始末する、という考え方が広く共有されていたことは、このことわざの背景を考えるうえで大切です。
また、このことわざには「鮎鯛の事は鯒知らぬ」という、魚の名を使ったしゃれの形もあります。鮎(あゆ)・鯛(たい)・鯒(こち)を並べて音をなぞったもので、意味は元のことわざと同じです。
こちらの形は、ことわざの音をおもしろく言いかえたもので、覚えやすさや口あたりのよさを強めています。ことわざが人びとのあいだで広まり、耳で楽しむ言葉としても親しまれたことがうかがえます。
今の形そのままを、一つの古い作品にぴたりと結びつけるのはむずかしいのですが、言葉の部品は室町時代までさかのぼります。そして、江戸時代の社会やことば遊びの中で、このことわざらしい形と調子がはっきりしてきたのでしょう。
そのため「相対の事はこちゃ知らぬ」は、ただ冷たく突き放す言葉ではありません。前もって相談も説明もなかったことについて、あとから責任だけを負わされる筋合いはない、という筋道を、昔のことばでくっきり示したことわざなのです。
「相対の事はこちゃ知らぬ」の使い方




「相対の事はこちゃ知らぬ」の例文
- 係の二人が先生に知らせずに掃除当番を入れ替え、あとで学級委員に説明役を頼むのは、相対の事はこちゃ知らぬというべきだ。
- 兄と姉が二人だけで旅行の日程を決めておきながら、重なった家の用事の責任を母に求めるのは、相対の事はこちゃ知らぬである。
- 友人どうしで貸し借りの返す日を変えておいて、あとから無関係の仲立ちに文句を言うのは、相対の事はこちゃ知らぬという話だ。
- 町内会の役員二人が相談して出店の場所を変えたのなら、準備だけ手伝った人が相対の事はこちゃ知らぬと言うのももっともだ。
- 担当者どうしで納期を動かしたのに、事情を知らない経理係へ謝罪まで求めるのは、相対の事はこちゃ知らぬと返されても仕方がない。
- 当事者二人だけで交わした約束の後始末を、何も聞かされていない第三者に押しつけるのでは、相対の事はこちゃ知らぬということになる。























