【故事成語】
懿公鶴を好む
【読み方】
いこうつるをこのむ
【意味】
君主が人民を顧みず、自分の好みや楽しみを優先して、国や組織を乱すことのたとえ。


「懿公鶴を好む」の故事
「懿公」は、中国の春秋時代に衛という国を治めた君主です。この言葉のもとには、国を支える人々よりも、自分が愛する鶴を特別に扱ったため、いざという時に人々の心を失ったという出来事があります。
『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』は、魯の年代記『春秋』に沿って、当時の史実や史話を詳しく記した中国古典です。その「閔公二年」には、「衛懿公好鶴。鶴有乘軒者」とあります。衛の懿公は鶴を好み、その中には、身分ある者の乗る車である「軒」に乗せられる鶴さえいたのです。
その冬、狄が衛に攻め込んできました。戦いを前に武具を受け取った国人たちは、「使鶴!鶴實有祿位,余焉能戰?」と言いました。やさしく言えば、「鶴を戦わせればよい。鶴には禄と位があるのだから、私たちがどうして戦えようか」という抗議です。
人々の言葉には、鶴そのものへの怒りだけでなく、君主が大切にすべき人々を後回しにしたことへの不満も表れています。懿公の軍は狄と熒沢で戦って敗れ、『春秋左氏伝』は「遂滅衛」、ついに衛は滅ぼされた、と記します。
前漢の司馬遷が編んだ『史記(しき)』(紀元前91年ごろ草稿完成)の「衛康叔世家」も、この話を伝えています。そこでは、懿公が即位して鶴を好み、ぜいたくにふけったのち、翟が攻め込むと、大臣たちが「君は鶴を好むのだから、鶴に翟を撃たせればよい」と言い、やがて懿公が殺されたと記されています。
秦の呂不韋が編纂した『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』「仲冬紀・忠廉」では、話はさらに、懿公に仕えた弘演の忠義へと続きます。民は「君が位と禄を与えたのは鶴である」と言って離れ、懿公は殺されますが、使いから帰った弘演は主君への忠節を示し、その話を聞いた桓公が衛を再び立てたと記されています。
この二つの姿は、はっきりと対照をなしています。民を顧みずに人心を失った懿公と、国と主君のために尽くした弘演とを並べることで、上に立つ者が何を大切にすべきかという教えが、いっそう深く示されています。
南宋の呂祖謙による『東莱左氏博義(とうらいさしはくぎ)』(1168年成立という)は、この出来事を取り上げ、「衞懿公以鶴亡其國」「玩一禽之微而失一國之心」と論じています。これは、懿公が鶴によって国を失い、一羽の鳥を愛玩するあまり、一国の人心を失ったという意味であり、この故事が君主の偏った愛好への戒めとして論じられているのです。
日本では、呂祖謙の書を田岡佐代治が訳註した『和訳東莱博議』(1912年、玄黄社)に、「衛の懿公・鶴を好む。(閔公二年)」という題が掲げられています。中国古典の「衛懿公好鶴」を、日本語で「懿公、鶴を好む」と示す形も、古典を学ぶための書物に明確に表れています。
このように、「懿公鶴を好む」は、ただ趣味に夢中になることを責める言葉ではありません。人を守り導く立場にある者が、公の務めより私的な好みを優先すれば、人の信頼を失い、ついには国や組織そのものを危うくするという、重い戒めを伝える言葉です。
「懿公鶴を好む」の使い方




「懿公鶴を好む」の例文
- 国の備えより自分のぜいたくな趣味を優先する君主は、懿公鶴を好むという戒めを忘れている。
- 町の予算を住民の安全より首長の好みの装飾品に回せば、懿公鶴を好むとの批判を受ける。
- 社長が働く人々の待遇を後回しにして私的な収集品ばかり買う姿は、懿公鶴を好むに等しい。
- 文化祭の責任者が必要な資材をそろえず、自分の好きな飾りばかり選ぶのでは、懿公鶴を好むとなりかねない。
- 組織を預かる者は、懿公鶴を好むの故事を心に留め、支える人々を軽んじてはならない。
- 領主のふるまいを見た老臣は、懿公鶴を好むを引き合いに出して、民を第一に考えるよう諫めた。
主な参考文献
・『春秋左氏伝』「閔公二年」。
・呂不韋編『呂氏春秋』「仲冬紀・忠廉」。
・司馬遷『史記』「衛康叔世家」。
・呂祖謙『東莱左氏博義』南宋。
・呂祖謙著、田岡佐代治訳註『和訳東莱博議』玄黄社、1912年。























