【ことわざ】
豕を抱いて臭きを知らず
【読み方】
いのこをだいてくさきをしらず
【意味】
自分の身に付いたにおいに気づきにくいように、自分の欠点や醜さには気づきにくいことのたとえ。


【英語】
・be blind to one’s own faults(自分の欠点に気づかない)
【類義語】
・息の香の臭きは主知らず(いきのかのくさきはぬししらず)
・臭い物身知らず(くさいものみしらず)
「豕を抱いて臭きを知らず」の語源・由来
「豕」は、古く「いのこ」と読み、いのしし、いのししの子、または豚を指す言葉です。漢字としても「ぶた、いのこ」を表し、日本語では、野生のいのししと家畜の豚の両方にまたがる意味で使われてきました。
このことわざは、臭い豕を抱いている本人が、その臭さに気づかないという具体的な比喩から生まれています。そこから、自分にしみついた欠点や見苦しさは、自分ではなかなか分からないという人間への戒めへと広がりました。
同じ発想をもつ古い言い方には、「臭物身知らず」があります。『傾城禁短気』(1711年ごろ・江戸時代中期、江島其磧作)には、夫婦の仲にからめた場面で「くさい物身しらず」とあり、自分自身の悪いにおいや欠点を自覚しにくいという考えが、すでに江戸時代の言葉に表されていました。
「豕を抱いて臭きを知らず」に近い形の古い用例としては、『常夏草紙』(1810年・江戸時代後期、滝沢馬琴著、勝川春亭画)が挙げられます。この作品は五巻六冊の読本で、作者と画工、成立年が伝わっています。
その用例には、「豕(ヰノコ)を抱(イダ)いて臭(クサ)きを忘(ワス)れし、時主が惑ひなり」とあります。ここでは、現在よく示される「知らず」ではなく「忘れし」の形をとり、身近にある悪さやゆがみに気づけなくなっている心の迷いを、豕を抱いたまま臭さを忘れる姿になぞらえています。
この「知らず」と「忘れる」は、どちらも本人の自覚が働かないことを表します。見えていない、分かっていないという意味を強く表す形として「知らず」が定着し、古い用例にある「忘れる」の形も、同じ比喩の範囲に残りました。
後の時代には、二葉亭四迷の『浮雲』(明治20〜22年発表)にも、「豕を抱いて臭きを知らずとかで」という形が出てきます。人物が自分の置かれた悪い状況や心の迷いを自覚できない場面で用いられており、このことわざが近代の文章でも、人の内面を批評する表現として使われていたことが分かります。
なお、このことわざの「臭さ」は、動物そのものを科学的に説明するための言葉ではなく、昔の生活感覚の中で生まれた比喩です。猪や豚に関することわざを扱う文章でも、この表現は「臭い」に関わることわざとして並べられ、本人が身に付いたにおいに気づきにくいことから、自分の欠点にも気づきにくいという意味へ移った例として扱われています。
このように、「豕を抱いて臭きを知らず」は、悪臭という身近な感覚を出発点として、自分自身を省みることの難しさを表したことわざです。他人の欠点は目につきやすくても、自分の欠点は見落としやすいという教えが、今の意味につながっています。
「豕を抱いて臭きを知らず」の使い方




「豕を抱いて臭きを知らず」の例文
- 友人の遅刻には厳しいのに自分の遅刻には甘いとは、まさに豕を抱いて臭きを知らずだ。
- 部屋の散らかりを注意されて初めて、豕を抱いて臭きを知らずという言葉の意味を実感した。
- 部下の説明不足を責める前に、自分の指示があいまいだったことを考えなければ、豕を抱いて臭きを知らずになる。
- 兄は人の言葉づかいには細かいが、自分の乱暴な言い方には気づかず、豕を抱いて臭きを知らずのようだった。
- 委員会の反省会では、豕を抱いて臭きを知らずにならないよう、自分の役割の足りなかった点も話し合った。
- 会社の会議で同じ失敗をくり返していたと指摘され、彼は豕を抱いて臭きを知らずだったと深く反省した。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・白川静『字通 普及版』平凡社、2014年。
・Oxford University Press『Oxford Advanced Learner’s Dictionary』Oxford University Press。
・江島其磧『傾城禁短気』1711年ごろ。
・滝沢馬琴『常夏草紙』1810年。
・二葉亭四迷『浮雲』1887〜1889年。
・馬場俊臣「『猪』『豚』に関することわざ――『猪』『豚』をどう捉えてきたか」『札幌国語研究』第26号、北海道教育大学国語国文学会・札幌、2021年。























