【ことわざ】
有為転変は世の習い
【読み方】
ういてんぺんはよのならい
【意味】
この世の物事はすべて絶えず移り変わるもので、いつまでも同じではないということ。栄えも衰えも、出会いも別れも、世の常であるという考えを表す。


【英語】
・the mutability of this world(この世の移り変わりやすさ)
・the vicissitudes of life(人生や世の中の移り変わり)
【類義語】
・諸行無常(しょぎょうむじょう)
・盛者必衰(じょうしゃひっすい)
・栄枯盛衰(えいこせいすい)
・万物流転(ばんぶつるてん)
【対義語】
・常住不変(じょうじゅうふへん)
・万代不易(ばんだいふえき)
・万古不易(ばんこふえき)
「有為転変は世の習い」の語源・由来
「有為転変は世の習い」は、仏教の言葉である「有為転変」と、古くからの言い方である「世の習い」とが結びついてできたことわざです。今あるものは必ず変わっていく、という無常の考えを、日常の言葉として言い表した形だといえます。
まず「有為」は仏教語で、因と縁によって成り立つ、この世のあらゆる現象を指します。人の命、身分、財産、町のにぎわいなど、何かの条件によって成り立つものは、固定したままではいられないと考えます。
「転変」は、移り変わること、次々に変化することです。したがって「有為転変」は、この世のあらゆるものが絶えず変わり、同じ姿にとどまらないことを表します。
この考え方は、日本では早くから仏教の無常観として親しまれてきました。いろは歌の「有為の奥山」という言葉にも、変わり続ける迷いの世を深い山にたとえる見方が込められています。
ことわざに近い形で古くにたどれる例として、南北朝時代の軍記物語『太平記(たいへいき)』があります。『太平記』は、1368年(応安元年・南北朝時代)から1375年(応安8年・南北朝時代)ごろの成立とされる作品です。
その巻三十六には、「有為転変の世の習ひ、今に始めぬ事なれ共」と書かれています。世の中が激しく移り変わることは、今に始まったことではない、という受けとめ方が、すでにこの時代の言葉としてはっきり出ています。
ここで注目したいのは、今の形が「は世の習い」であるのに対して、古い例では「の世の習ひ」となっていることです。言い回しには少し違いがありますが、変化することこそが世の常である、といういちばん大事な意味は同じです。
江戸時代に入ると、この言葉は仮名草子の中にも出てきます。中世の文学で使われた表現が、その後も人びとのあいだで受け継がれ、よりなじみ深いことわざとして広がっていったことがうかがえます。
このことわざには、だれか一人の有名な失敗談や、特定の出来事だけをもとにした話があるわけではありません。土台にあるのは、仏教が説く無常の考えであり、それが日本語のことわざとして親しみやすい形になったのです。
また、「習い」はここでは、習い事の「習い」ではありません。世の中ではそうなるのが当たり前だ、という意味の「ならわし」「世の常」に近い言葉です。
つまり「有為転変は世の習い」は、仏教の深い考えを背景にしながら、中世の文学の中でことわざらしい形がはっきりし、その後も長く使われ続けてきた言葉です。変わっていくことをただ嘆くだけでなく、それもまた世の道理だと受けとめるところに、このことわざの味わいがあります。
「有為転変は世の習い」の使い方




「有為転変は世の習い」の例文
- 卒業式の日に取り壊し前の校舎を見上げると、有為転変は世の習いという言葉が自然に浮かんだ。
- 祖父は昔の商店街のにぎわいを語りながら、有為転変は世の習いだと静かに言った。
- 転勤で町を離れる友人を見送りながら、有為転変は世の習いと自分に言い聞かせた。
- 人気のあった店が閉まり新しい店に変わった駅前を見ると、有為転変は世の習いを思わずにはいられない。
- 業界の流れが大きく変わるなかで、社長は有為転変は世の習いと社員に語った。
- 栄えていた家がやがて衰えることもあると知り、有為転変は世の習いの重みをあらためて感じた。























