【故事成語】
内に省みて疚しからず
【読み方】
うちにかえりみてやましからず
【意味】
自分の良心に照らして考えてみても、少しも恥じるところがないこと。


【英語】
・have a clear conscience(良心に恥じるところがない)
【類義語】
・仰いで天に愧じず(あおいでてんにはじず)
・俯仰天地に愧じず(ふぎょうてんちにはじず)
【対義語】
・無慙無愧(むざんむき)
「内に省みて疚しからず」の故事
「内に省みて疚しからず」は、中国古典『論語(ろんご)』の「顔淵(がんえん)」に出てくる言葉です。『論語』は、中国の思想書で、二十編から成り、孔子の没後に、門人による言行の記録を儒家の一派が編集したものです。
この言葉のもとの形は、「内省不疚、夫何憂何懼」です。日本ではこれを、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん」と読む形で伝えてきました。
この章では、司馬牛(しばぎゅう)が孔子に「君子とはどのような人か」と尋ねます。孔子は「君子は憂えず、懼れず」と答えます。
「憂える」は、心配して思い悩むことです。「懼れる」は、びくびくして恐れることです。孔子は、君子とは、心が落ち着いていて、むやみに不安や恐れに動かされない人だと述べています。
司馬牛はさらに、「憂えず懼れないだけで、君子といえるのでしょうか」と問い返します。そこで孔子は、「内省不疚、夫何憂何懼」と答えます。
この言葉は、自分の心の内を振り返って、やましいところがないなら、何を心配し、何を恐れることがあるだろうか、という意味です。ここでの「省みる」は、自分の行いを振り返ることを表します。
「疚し」は、心にやましさがあること、良心にとがめるところがあることにつながる言葉です。したがって「疚しからず」は、心に恥じるところがない、後ろめたいところがない、という意味になります。
この故事の大切な点は、君子の落ち着きが、ただの強がりや鈍さではないところです。孔子は、外からどう見えるかよりも、自分の心に照らして恥じるところがないことを、恐れのない心の根本に置いています。
この表現は、のちに「内に省みて疚しからず」という形で、日本語の中でも用いられるようになりました。自分の良心に照らして、少しも恥ずかしいところがない、という意味で定着しています。
近代の用例として、夏目漱石『野分』(1907年・明治40年、夏目漱石著)には、「彼自身は内に顧みて疚しい所もなければ」という形が出てきます。ここでは、自分の心に照らして恥じる点がないという、現在の意味に近い使い方になっています。
現在の「内に省みて疚しからず」は、疑いや非難を受けても、自分の行いに後ろめたい点がないときに使われます。人に言い訳するための言葉ではなく、自分の心を静かに振り返り、正しく行動したことを確かめる言葉です。
「内に省みて疚しからず」の使い方




「内に省みて疚しからず」の例文
- 彼は疑いをかけられたが、内に省みて疚しからずと落ち着いて説明した。
- 約束を守って行動したので、内に省みて疚しからずという思いで結果を待った。
- 誰に見られていなくても正しいことをしたなら、内に省みて疚しからずと言える。
- 批判を受けても、手続きを正しく進めた彼女は内に省みて疚しからずと胸を張った。
- 友人に誤解されたが、悪意はなかったため、内に省みて疚しからずという気持ちだった。
- 内に省みて疚しからずと言えるように、日ごろから正直な行動を心がけたい。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・金谷治訳注『論語 改訂新版』岩波書店、1999年。
・『論語』。
・夏目漱石『野分』1907年。























