【故事成語】
愛多き者は即ち法立たず
【読み方】
あいおおきものはすなわちほうたたず
【意味】
上に立つ者が下の者に情けをかけすぎると、きまりや罰がきちんと働かなくなり、秩序が乱れるということ。


【英語】
・If the ruler is too compassionate, the law will never prevail.(上に立つ者が情けをかけすぎると、法が立たなくなる)
・Too much personal fondness makes the law unenforceable.(私的なかわいがりが過ぎると、法が効かなくなる)
【類義語】
・慈母敗子(じぼはいし)
・愛多ければ憎しみ至る(あいおおければにくしみいたる)
【対義語】
・信賞必罰(しんしょうひつばつ)
・泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)
「愛多き者は即ち法立たず」の故事
この故事成語は、中国の戦国時代末期の思想家、韓非(かんぴ)の書である『韓非子(かんぴし)』に出てくる言葉です。書物としては20巻55編から成り、厳しい法と賞罰によって国を治める考えを強く打ち出しています。
もとの文は、愛多者則法不立、威寡者則下侵上です。日本ではこれを読み下して、愛多き者は則ち法立たず、あるいは愛多き者は即ち法立たずの形で親しまれてきました。
ここでいう愛は、やさしさそのものをほめる言葉ではありません。君主や上に立つ者が、私的な情けや身びいきによって人を甘やかし、決まりを曲げてしまうことをさしています。
また、法も現代の法律だけをさすのではなく、広くおきて、禁令、守るべき基準、そして賞罰のしくみまでをふくむ言葉です。したがってこの句は、情をかけすぎると、決まりそのものが働かなくなると警告しているのです。
この句のすぐあとには、威寡者則下侵上、是以刑罰不必則禁令不行とも続きます。つまり、威厳が足りないと下の者が上をないがしろにし、罰が必ず行われないなら、禁令は守られない、という筋道で語られています。
『韓非子』では、この考えをただ言い切るだけでなく、古い政治の話をいくつも並べて説明します。その中でまず引かれているのが、董子が石邑を行った話です。
この話では、董子が石邑の険しい谷を見て、もし法が谷に落ちれば必ず死ぬのと同じほど確かに行われるなら、人はあえて犯さないだろう、と悟ったと伝えられます。ここで大事なのは、罰の重さだけでなく、破れば必ず結果があるという動かしにくさです。
もう一つ引かれているのが、鄭の宰相で法治でも知られる子産(しさん)が、後を継ぐ游吉に政治の心がまえを教えた話です。そこでは、火は見た目がきびしいので人が恐れて近づかず、かえって焼け死ぬ者が少ないが、水はやわらかく見えて人が近づきやすいため、溺れる者が多い、と説かれます。
このたとえが教えているのは、見かけのやさしさが、いつもよい結果を生むわけではないということです。厳しさがはっきりしていれば人は用心するが、甘さが続くと、きまりを軽く見てしまうという考えが、この故事成語の土台にあります。
さらに同じ段では、灰を道に捨てることまで罰したという古い法や、商鞅が軽い罪を重く扱った話なども並べられます。韓非が言いたいのは、好き嫌いで例外を作らず、決まりを同じように働かせることが国を保つという点でした。
そのため、この故事成語は、ただ冷たくあれと勧める言葉ではありません。私情が入りすぎると公平さが失われ、守るはずの決まりが空文句になるという危うさを示す言葉なのです。
日本では、古典を読み下した形のまま、上に立つ人の甘さが規律をくずす場面を言う故事成語として受け継がれてきました。今でも、組織をまとめる立場の人が、親しさや同情からルール違反を見逃してしまう場面に、ぴたりと当てはまる言い方です。
「愛多き者は即ち法立たず」の使い方




「愛多き者は即ち法立たず」の例文
- 学級委員が仲のよい友達の遅刻だけ注意しなかったため、愛多き者は即ち法立たずとなり、朝の会の開始時刻が守られなくなった。
- 店番の手伝いを弟だけ何度も免除したら、愛多き者は即ち法立たずで、家の約束がだんだん通らなくなった。
- 監督が主力選手の無断欠席を見逃し続け、愛多き者は即ち法立たずで、部の規律が崩れた。
- 祭りの会計係が身内の出店だけ提出期限を過ぎても受け付け、愛多き者は即ち法立たずとなって申込規則が形ばかりになった。
- 部長が気に入っている部下の経費申請だけ例外扱いにしたため、愛多き者は即ち法立たずと批判された。
- 管理人が顔なじみの住人の自転車置き場違反を注意しなかったので、愛多き者は即ち法立たずで共用通路がふさがった。























