【故事成語】
帷幄の臣
【読み方】
いあくのしん
【意味】
主君のそばにいて、作戦や計画を立てて補佐する臣。参謀。


【類義語】
・参謀(さんぼう)
「帷幄の臣」の故事
「帷幄(いあく)」は、もとは垂れ幕と引き幕を指す言葉です。古い軍営では、幕を張りめぐらして本営を設けたため、やがて「帷幄」は、作戦計画を立てる場所である本陣を表すようになりました。
この言い方のもとになる話は、前漢の司馬遷がまとめた『史記(しき)』(紀元前91年ごろ完成)と、後漢の班固が編み、班昭らが補った『漢書(かんじょ)』(80年ごろ成立)に伝わります。前漢の初代皇帝となった劉邦は、項羽を破って天下を統一し、高祖と呼ばれるようになった人物です。
『史記』「高祖本紀」では、天下を得たのち、劉邦が洛陽の南宮で家臣たちに酒をふるまい、自分が天下を取ることができた理由を問いかけます。家臣たちの答えを聞いた劉邦は、自分は「帷帳の中」で策をめぐらし、千里の外の勝利を決めることにおいては、子房、すなわち張良に及ばない、と語りました。
さらに劉邦は、国を整え、民を安んじ、兵糧を絶やさない点では蕭何に及ばず、大軍を率いて戦いに勝つ点では韓信に及ばない、と続けます。そして、この三人の優れた人物を用いることができたからこそ、自分は天下を得たのだと述べました。張良は、自ら先頭に立って戦う将軍ではなく、主君のそばで戦い全体の行方を考える人物としてたたえられたのです。
同じ出来事を伝える『漢書』「高帝紀」では、『史記』の「帷帳」に当たる箇所が「帷幄」となり、「夫運籌帷幄之中、決勝千里之外、吾不如子房」とあります。帷幄の中で策をめぐらし、遠い戦場の勝敗を決める働きこそが、張良の功績として表されたのです。
『漢書』「張陳王周伝」には、この評価が張良への褒賞の場面にも記されています。漢六年、張良には自ら武器を取って戦った功績はありませんでしたが、劉邦は「運籌策帷幄中、決勝千里外、子房功也」と述べ、張良を留侯に封じました。敵と直接戦う者だけでなく、そばで策を立てる者の働きも、天下を定める大きな功績であることが示されています。
その後の中国では、北宋の司馬光が1084年に完成させた『資治通鑑(しじつがん)』巻二百八十八に、「且帷幄之臣、不可以弘肇為比」とあります。ここでは、主君の近くで政務や方策を支える人物を「帷幄之臣」と呼んでおり、「帷幄の中で策を立てる人物」という発想が、「帷幄の臣」というまとまった言い方で用いられています。
日本では、「帷幄」という言葉は、『万葉集』(8世紀後半)の題詞に、幕やとばりを表す意味で用いられています。また、『高野本平家』(13世紀前半)巻七には「策を帷幄の中に運らして」とあり、作戦を立てる本営という意味の「帷幄」も、すでに中世の日本語の文章に入っていました。
さらに、中山義秀『露命』(1954年)には、「藤堂高虎は家康、秀忠の帷幄の臣だ」とあります。中国の史書で張良の知略を表した「帷幄」の比喩は、日本語では、主君の近くで計画を立て、知恵によって支える参謀をいう「帷幄の臣」という形でも用いられるようになりました。
「帷幄の臣」の使い方




「帷幄の臣」の例文
- 張良は、主君のそばで策をめぐらす帷幄の臣として名高い。
- 戦国大名は、信頼できる帷幄の臣を得て、合戦の方針を定めた。
- 彼は自ら槍を振るうより、帷幄の臣として軍略を進言する役目を担った。
- 主君は帷幄の臣だけを本陣に呼び、翌日の戦いの策を練った。
- 歴史小説では、その老臣が若い君主の帷幄の臣として描かれている。
- 監督を陰で支えた作戦担当者は、チームの帷幄の臣ともいうべき存在だった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・司馬遷『史記』前漢、紀元前91年ごろ完成。
・班固『漢書』後漢、80年ごろ成立。
・司馬光『資治通鑑』北宋、1084年完成。
・『万葉集』8世紀後半成立。
・『平家物語』鎌倉時代成立。























