【ことわざ】
商人の嘘は神もお許し
【読み方】
あきんどのうそはかみもおゆるし
【意味】
商売の駆け引きとしての多少の誇張や口先のうまさは、やむを得ないものだとして半ば大目に見る言い方。


【英語】
・Business is business.(商売には商売の理屈がある。)
【類義語】
・商人の空値(あきんどのそらね)
・商人の元値(あきんどのもとね)
・商人の空誓文(あきんどのそらせいもん)
・商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
【対義語】
・値を二つにせず(あたいをふたつにせず)
・正直の頭に神宿る(しょうじきのこうべにかみやどる)
・正直は一生の宝(しょうじきはいっしょうのたから)
・正直は最善の策(しょうじきはさいぜんのさく)
「商人の嘘は神もお許し」の語源・由来
このことわざは、言葉の形そのものが意味をはっきり語っており、商売の場では多少の誇張や口先のうまさがつきものだ、という世間の感覚をそのまま言い表したものと受け取りやすいです。特定の一つの事件や説話から生まれたというより、商人の駆け引きをどう見るかという見方の中で広まったと考えると分かりやすい言い方です。
江戸時代には、儒学の影響もあって商業は価値や役割を低く見られがちで、商人への目もきびしいものでした。商人は利益を追う存在として軽んじられやすく、そのことに反論する思想が後から強く打ち出されるほど、当時の空気には商人への警戒や蔑視がありました。
その空気を映すように、商人の空値、商人の元値、商人の空誓文、商人と屏風は直ぐには立たぬなど、商人の口先や値段のつけ方、客への応対を話題にすることわざがいくつも伝わっています。どれも、商売にはまっすぐさだけでは済まない面があるとか、商人の言うことはそのまま信じにくい、といった見方を含んでいます。
商人の嘘は神もお許しも、そうした一群のことわざの中で読むと意味がつかみやすくなります。買い手の側から見れば皮肉めいた言い方であり、売り手の側から見れば半ば言い訳のようにも響くところが、このことわざの持ち味です。
いっぽう、江戸時代中期になると、商人をただ低く見るだけではない考え方も強くあらわれます。石田梅岩(いしだばいがん)は1729年(享保14年・江戸時代中期)に京都で講話を始め、その教えは石門心学(せきもんしんがく)として広まりました。
梅岩の主著『都鄙問答(とひもんどう)』は1739年(元文4年・江戸時代中期)に刊行されました。この書物は、石門心学の考えを問答の形で分かりやすく述べたもので、商人の道についても大切な考えを示しています。
梅岩は、商業には社会を回す役目があり、利潤を求めることにも筋道があると説きました。また、商人も武士・農民・職人と同じく、人としては等しいと考え、正直・勤勉・倹約を重んじました。
その考えは、『都鄙問答』に出てくる、まことの商人は相手も立ち自分も立つように考える、という趣旨の言葉にもよくあらわれています。つまり、うまく売ることだけでなく、相手にも益がある商いこそ大事だという考え方です。
こうして並べてみると、商人の嘘は神もお許しは、梅岩が理想として語った商人道そのものではありません。むしろ、理想が強く説かれる前から広くあった、商売には駆け引きがつきものだという世間の感覚を映したことわざとして読むと、無理なく理解できます。
このことわざの「神もお許し」という言い方には、ほんとうに神が嘘をすすめるという教えよりも、それほどまでに商売の駆け引きが世の中で当たり前のものとして受け止められていた、という世俗的な響きが濃くあります。だから今では、悪い詐欺を正当化する言葉としてではなく、売り込みの誇張や口上を少しおどけて言う古いことわざとして理解するのがよいでしょう。
「商人の嘘は神もお許し」の使い方




「商人の嘘は神もお許し」の例文
- 学級バザーの呼び込みで少し大きな売り文句を聞くと、商人の嘘は神もお許しという言い方を思い出す。
- 朝市のにぎやかな口上には、商人の嘘は神もお許しという昔の感覚がのぞくことがある。
- 祖父は、店主の景気のよい売り声を聞くと、商人の嘘は神もお許しというものだと苦笑した。
- 祭りの露店で客を呼ぶ口上は、商人の嘘は神もお許しということわざに近いところがある。
- 営業の説明が魅力を強く言うだけなら商人の嘘は神もお許しとも言えるが、事実を隠せば別である。
- 値札や在庫数まで偽るなら、商人の嘘は神もお許しという言い逃れでは通らない。























