【ことわざ】
悪事身に返る
【読み方】
あくじみにかえる
【意味】
自分のした悪いことは、めぐりめぐって自分に返り、自分を苦しめること。悪事の報いは、結局は本人が受けるという戒め。


【英語】
・What goes around comes around.(したことは、めぐって自分に返ってくる。)
・You reap what you sow.(自分のしたことの結果を、自分で受ける。)
・Curses, like chickens, come home to roost.(した悪いことは、のちに自分を苦しめる。)
【類義語】
・悪事身にとまる(あくじみにとまる)
・因果は車の輪のごとし(いんがはくるまのわのごとし)
・身から出た錆(みからでたさび)
・天に唾す(てんにつばす)
・人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ)
【対義語】
・善因善果(ぜんいんぜんか)
・情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)
・陰徳あれば陽報あり(いんとくあればようほうあり)
・積善の家には余慶あり(しゃくぜんのいえにはよけいあり)
「悪事身に返る」の語源・由来
「悪事身に返る」は、悪いことをした者が、その報いを自分で受けるという意味を、短くまっすぐに言い表したことわざです。たとえ話が複雑ではなく、言葉の形そのものに教訓がはっきり出ています。
古い形では「悪事身にとまる」ともいいます。昔から伝わる言い方としては、この「とまる」の形が先に知られています。
その古い用例として挙げられるのが、1638年(寛永15年・江戸時代前期)の序をもつ『毛吹草(けふきぐさ)』です。そこに「悪事身にとまる」という形が出てきます。
『毛吹草』は、松江重頼(まつえしげより)による俳諧書で、句を作る人のために言葉や事柄を広く集めた本です。そうした本に載るほど、この言い回しは早い時期から多くの人に通じる表現だったと考えられます。
このことわざは、だれか一人の有名な失敗談や、一つの事件だけをもとに生まれたと考えるより、悪い行いには悪い結果が返るという考え方が、ことわざの形にまとまったものと受け取るほうが分かりやすい言葉です。
その背景にあるのは、因果の考え方です。原因があれば結果がある、善悪の行いにはそれに応じた報いがある、という見方が、昔から人びとの言葉の中に深く入っていました。
たとえば、1488年ごろ(長享2年ごろ・室町時代後期)の謡曲『鉄輪(かなわ)』には、因果が車輪のようにめぐるという意味の文が出てきます。言い方は別でも、したことがめぐって戻るという発想は、このことわざより前から語られていたことが分かります。
また、「因果応報」は、善悪の行いが因となり、その報いとして結果が現れるという仏教の言葉です。今では、とくに悪い行いに対して悪い報いがある、という意味で使われることが多く、「悪事身に返る」の考え方と重なります。
こうして見ると、「悪事身に返る」は、むずかしい考え方をそのまま言うのではなく、だれにでも伝わる形に言い直したことわざだといえます。「悪事」が原因で、「身に返る」が結果なので、意味の流れがたいへん分かりやすいのです。
なお、古い形の「とまる」は今の耳にはやや古風ですが、「自分の身にもどってくる」という意味合いは「返る」と同じ向きです。そのため、現代では「悪事身に返る」の形でも自然に理解されます。
類義のことわざに「身から出た錆」や「天に唾す」があるのも、この言葉の位置づけを考える手がかりになります。どれも、自分のしたことが自分を苦しめるという点で重なりますが、「悪事身に返る」は、悪事の報いという筋をとくにまっすぐに言い表す言い方です。
つまり、このことわざは、1638年(寛永15年・江戸時代前期)の『毛吹草(けふきぐさ)』に見える古い言い回しを土台にしながら、さらに古くからあった因果の考え方を、短く強く伝える形で広まったものです。ひとつの作り話から生まれたというより、長く共有されてきた教訓が定着した表現といえます。
「悪事身に返る」の使い方




「悪事身に返る」の例文
- 友だちの自由研究をわざと隠した生徒が、学級会で信用を失ったのは、悪事身に返るというほかない。
- 弟のせいにして菓子を盗み食いした兄が、あとで家族の信頼をなくしたのは、悪事身に返るの一例である。
- うわさ話で友人を傷つけた人が、こんどは自分の話をだれにも信じてもらえなくなり、悪事身に返る結果となった。
- 町内会の会計をごまかした者が、のちに厳しく責任を問われたのは、悪事身に返るという言葉があてはまる。
- 同僚の手柄を横取りした社員が、自分の不正を明るみに出されて立場を失ったのは、悪事身に返るといえる。
- 人をだまして利益を得た会社が、世間の信頼を失って行き詰まった姿には、悪事身に返るという教訓がよく表れている。























