【故事成語】
学は及ばざるが如くす
【読み方】
がくはおよばざるがごとくす
【意味】
学問は、逃げるものを追うように、まだ足りないと思って努力し続けるべきだということ。学んだことを失わないように、さらに慎むべきだという教えを含む。


【類義語】
・学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)
・継続は力なり(けいぞくはちからなり)
「学は及ばざるが如くす」の故事
「学は及ばざるが如くす」は、中国の古典『論語(ろんご)』の泰伯(たいはく)篇に出てくる「學如不及,猶恐失之」にもとづく故事成語です。『論語』は、孔子と弟子たちの言行をまとめた書物で、四書の一つとして長く学ばれてきました。
この章句は、「子曰、學如不及、猶恐失之」と記されています。書き下すと、「子曰く、学は及ばざるが如くするも、猶お之を失わんことを恐る」となります。
ここでいう「子」は、孔子を指します。孔子は、春秋時代の中国で人の生き方や政治のあり方を説いた思想家であり、『論語』には、弟子たちへの教えが簡潔な言葉で残されています。
「学」は、学ぶこと、研究することを表します。漢字としての「学」には、「まなぶ」「研究する」という意味があり、この故事成語では、知識や徳を身につけようとする学び全体を指します。
「及ばざる」は、まだ追いつかない、まだ十分でないという意味です。「如くする」は、そのような気持ちで行うという意味で、学問に対して「もう十分だ」と思わず、まだ届いていないものを追うように努める姿勢を表しています。
後半の「猶恐失之」は、「それでもなお、学んだものを失ってしまうことを恐れる」という意味です。つまり、この言葉は、学ぶときの熱心さだけでなく、学んだあとも忘れたり慢心したりしない慎みを含んでいます。
この教えの大切な点は、学問を「一度手に入れれば終わり」と見ていないところです。たとえ知識を得ても、それを保ち、深め、行いに結びつけなければ、学びは身についたとはいえないという考えがこめられています。
『論語』のこの句は、後の中国の文献にも引用されました。たとえば『三国志』の韋曜伝や、唐代の類書『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』にも、「學如不及,猶恐失之」に近い形が出てきます。
『芸文類聚』は、唐の高祖の命によって欧陽詢らが撰し、624年に成立した類書です。そこにもこの句が見えることから、孔子の学びへの姿勢を示す言葉として、後の時代にも重んじられていたことが分かります。
日本語では、全文を「学は及ばざるが如くするも、猶お之を失わんことを恐る」と読む形があります。その一方で、前半を取り出した「学は及ばざるが如くす」という形も、学問に対する心構えを表す言葉として用いられます。
この故事成語は、ただ「一生懸命勉強しなさい」というだけの言葉ではありません。自分の学びを十分だと思わず、届かないものを追うように励み、得たものを失わないように大切にする態度を教えています。
そのため、現在では学校の勉強だけでなく、習い事、研究、仕事、技術の習得などにも使われます。少しできるようになったときほど気をゆるめず、さらに学び続ける大切さを示す言葉です。
「学は及ばざるが如くす」の使い方




「学は及ばざるが如くす」の例文
- 学は及ばざるが如くすという心構えで、彼は合格後も毎朝英語の音読を続けた。
- 研究者は、学は及ばざるが如くすを胸に、新しい資料を読み直した。
- ピアノの発表会で上手に弾けても、学は及ばざるが如くすと思い、基礎練習を怠らなかった。
- 学は及ばざるが如くすという言葉どおり、先生は生徒と一緒に新しい教材を学び続けている。
- 少し成績が上がっただけで満足せず、学は及ばざるが如くすの姿勢で復習を重ねた。
- 職人は学は及ばざるが如くすを信条とし、長年の経験があっても道具の扱いを見直した。
主な参考文献
・土田健次郎訳注『論語』筑摩書房、2023年。
・金谷治訳注『論語 改訂新版』岩波書店、1999年。
・『論語』泰伯篇。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・『角川新字源 改訂新版』KADOKAWA、2017年。
・欧陽詢ら撰『芸文類聚』624年。























