【故事成語】
下愚の性移るべからず
【読み方】
かぐのせいうつるべからず
【意味】
きわめて愚かな者の性質は、教えたり諭したりしても改められないということ。


【英語】
・A leopard can’t change its spots.(人の悪い本性は変わらない)
【類義語】
・三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)
【対義語】
・朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
「下愚の性移るべからず」の故事
「下愚の性移るべからず」は、古代中国の思想書『論語(ろんご)』の陽貨篇(ようかへん)に出てくる言葉をもとにした故事成語です。「下愚」はきわめて愚かな者を指し、「移るべからず」は性質を変えることができないという意味を表します。
『論語』は、孔子と門人たちの言行を、孔子の死後、門人の系統がまとめた二十篇から成る書物です。人としての生き方、学問、政治、礼などについて、孔子の教えを短い言葉で伝えています。
陽貨篇では、まず孔子の言葉として「性相近也、習相遠也」とあります。人が生まれながらにもつ性質には大きな隔たりがないものの、その後に身につける習慣によって、しだいに違いが広がるという意味です。
そのすぐあとに、「唯上知與下愚不移」とあります。「ただ上知と下愚とのみ移らず」と読み、生まれながらにきわめて賢い者と、きわめて愚かな者だけは変わらない、と述べた言葉です。
ここでいう「上知」は、最も優れた知恵をもつ者を指します。これに対する「下愚」は、教えを受けても賢くなることが難しいほど愚かな者を指し、両極端の人物を対にした表現です。
『論語集解(ろんごしっかい)』(三国時代の魏・3世紀、何晏撰)では、上知を無理に悪へ向かわせることはできず、下愚を無理に賢くすることもできない、という意味に解しています。
『論語義疏(ろんごぎそ)』(南朝梁・6世紀、皇侃著)などの古い注釈では、この言葉を直前の「性相近也、習相遠也」と結びつけて読んでいます。両極端の者を除く多くの人は、学びや周囲の環境によって変わり得るという考え方です。
日本では、『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』(1058〜1065年ごろ成立・平安時代中期、藤原明衡撰)に、「下愚之不移」という形が出てきます。『論語』の「下愚不移」という考え方が、平安時代の漢詩文にも取り入れられていたことを示す古い例です。
『沙石集(しゃせきしゅう)』(1283年・鎌倉時代)には、「上智はをしへられず、下愚はうつらずと云て」とあります。「上知」と「下愚」を対にし、下愚は教えによって変わらないという意味で用いています。
現在の形に近い表現は、『徒然草(つれづれぐさ)』(1330〜1331年ごろ成立・鎌倉時代、吉田兼好著)の第八十五段に出てきます。そこには、「この人は下愚の性、移るべからず」とあります。
この段では、賢い人を見ると憎み、その人が小さな利益を求めないのは、さらに大きな利益や名声を狙っているからだと悪く言う人物を取り上げています。吉田兼好は、そのような人物の性質を改めることはできないと、きわめて厳しく批判しています。
『論語』の原文は「下愚不移」であり、「性」という字は含まれていません。『徒然草』の「下愚の性、移るべからず」という形は、直前の章句「性相近也」と古い注釈の読み方をふまえ、日本語として意味を明確に整えたものと考えられます。
もっとも、『徒然草』第八十五段は、人は賢者のまねをし、賢さを学ぶことによって、賢者へ近づけるとも述べています。そのため、「下愚の性移るべからず」は、全ての人の成長を否定する言葉ではなく、賢さを憎み、自分を改めようともしない極端な人物に向けられた強い批判です。
このように、『論語』の「下愚不移」が日本の漢詩文や説話に受け継がれ、『徒然草』で「下愚の性移るべからず」という形になりました。現在も、人の根深い愚かさは容易に改まらないという意味で用いられますが、相手を強く見下す表現であるため、人に向かって軽々しく使うべき言葉ではありません。
「下愚の性移るべからず」の使い方




「下愚の性移るべからず」の例文
- 『徒然草』第八十五段の下愚の性移るべからずは、賢者を憎む人物への厳しい批判として使われている。
- 教師は、下愚の性移るべからずという古い考え方を紹介し、学びによって人が変わる可能性について考えさせた。
- 研究発表では、下愚の性移るべからずが『論語』の「下愚不移」を受けた表現であると論じた。
- 祖父は、何度忠告しても聞き入れない男を見て、下愚の性移るべからずと嘆いた。
- 物語の老臣は、賢者の言葉を嫌う君主に対し、下愚の性移るべからずと絶望した。
- 下愚の性移るべからずを人に向かって軽々しく用いると、強い侮辱になりかねない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・神田秀夫・永積安明・安良岡康作校注・訳『新編日本古典文学全集44 方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・歎異抄』小学館、1995年。
・曹景惠『日本中世文学における儒釈道典籍の受容―『沙石集』と『徒然草』―』國立臺灣大學出版中心、2012年。
・曹景惠「徒然草における論語の受容」『中世文学』第48号、中世文学会、2003年。
・『論語』。
・藤原明衡撰『本朝文粋』1058〜1065年ごろ成立。
・『沙石集』1283年。
・吉田兼好『徒然草』1330〜1331年ごろ成立。























