【故事成語】
思い邪無し
【読み方】
おもいよこしまなし
【意味】
心が素直で、私心や邪念がないこと。思うことを偽ったり、飾ったりせず、そのまま表すこと。


【英語】
・Have no depraved thoughts(よこしまな考えをもたない)
【類義語】
・公明正大(こうめいせいだい)
【対義語】
・口に蜜あり腹に剣あり(くちにみつありはらにけんあり)
「思い邪無し」の故事
「思い邪無し」の直接の出典は、古代中国の詩集『詩経(しきょう)』に収められた「魯頌(ろしょう)・駉(けい)」です。この詩は、魯の君主が所有する数多くの立派な馬を、毛色や体つき、走る姿などを挙げながらたたえた歌です。
「駉」の最後には、「思無邪、思馬斯徂」とあります。日本では、「思い邪無し、馬のここに徂(ゆ)かんことを思う」などと読み下しますが、この一節は、もともと馬の素晴らしさや、君主が良馬を大切にする様子を歌った文脈に置かれています。
原文の「思」には、心で考えるという意味を認める解釈のほかに、句の調子を整える助字であり、それ自体には大きな意味がないとする解釈もあります。そのため、『詩経』の原文にある「思無邪」を、初めから「人の心に邪念がない」という道徳的な教えだけで説明することはできません。
この句を広く知られる言葉にしたのが、『論語(ろんご)』「為政(いせい)」に記された孔子の言葉です。孔子は、「詩三百、一言以て之を蔽(おお)えば、曰く、思い邪無し」と述べました。これは、『詩経』に収められた三百ほどの詩を一言で言い表すならば、「思いに偽りやよこしまなところがない」という言葉に尽きる、という意味です。
孔子は、良馬をたたえた詩の一節をもとの文脈から取り出し、『詩経』全体の精神を表す言葉として用いました。恋の喜び、別れの悲しみ、政治への批判、祖先への祈りなど、詩の内容はさまざまでも、そこに表された心は偽りなく、ありのままであるという見方です。
南宋の朱熹は、『論語集注(ろんごしっちゅう)』で、この言葉を詩の読み手への教えとして解きました。善い内容の詩は善を行う心を起こさせ、悪い人物や行いを描く詩は、それを戒める心を起こさせるため、どの詩も読む人の思いを正しい方向へ導くという解釈です。すべての詩の作者が初めから完全に清らかであったというのではなく、詩を読む者が「思い邪無し」を目指すことに重きが置かれています。
日本語では、漢文の「思無邪」を訓読した「思い邪無し」が定着し、「思邪無し」や「思い邪なし」とも書かれてきました。現在では、詩の性質だけでなく、人の心や行動に悪意、私欲、偽り、飾りがないことを表す言葉として用いられます。
太宰治の『パンドラの匣』(昭和21年)では、ほかの俳人の句に似た作品を作りながら、本人には盗んだ自覚がない人物について、「実に無邪気な罪人である。まさに思い邪無しである」とあります。ここでは、悪意がなく純真である一方、その無邪気さがどこかおかしみを帯びているという、少し皮肉な使い方になっています。
このように、「思い邪無し」は、『詩経』では良馬をたたえる詩の一節として現れ、『論語』では詩全体の精神を表す言葉へと意味を広げました。そこから、心に悪意や私欲がなく、思うことを偽らずに表すという現在の意味が定着しました。
「思い邪無し」の使い方




「思い邪無し」の例文
- 落とし物を黙って届けた少年の善意は、まさに思い邪無しであった。
- 自分の失敗を飾らずに語る彼女の言葉には、思い邪無しの誠実さがあった。
- 子どもたちが家族への感謝を率直につづった作文は、思い邪無しの心に満ちていた。
- 友人を助けたい一心で動いた彼には、思い邪無しという言葉がよく当てはまる。
- 利益より住民の安全を優先した人々の行動は、思い邪無しから出たものだった。
- 世間への迎合も自己宣伝もないその詩には、思い邪無しの美しさがある。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・村山吉廣『詩経の鑑賞』二玄社、2005年。
・福本郁子「『詩經』を讀むために(三)―『論語』為政篇・『詩經』駉篇の「思無邪」について―」『比較文化研究』第33号、盛岡大学社会文化学会、2023年。
・『詩経』。
・『論語』。
・太宰治『パンドラの匣』1946年。























