【故事成語】
恨み骨髄に徹す
【読み方】
うらみこつずいにてっす
【意味】
心の底から、耐え難いほど深く恨む。


【英語】
・bear a deep grudge against someone(人を深く恨み続ける)
【類義語】
・怨み骨髄に入る(うらみこつずいにいる)
・恨み骨髄に徹る(うらみこつずいにとおる)
「恨み骨髄に徹す」の故事
「恨み骨髄に徹す」は、中国の歴史書『史記(しき)』(前漢、紀元前91年ごろ成立、司馬遷著)の「秦本紀」に出てくる言葉にもとづきます。『史記』は、伝説上の黄帝から前漢の武帝までの歴史を、人物の伝記を中心に記した史書です。
「骨髄(こつずい)」は、骨の内部にある髄を指します。そこから、体や心の最も深い所を表し、恨みが骨髄にまで届くという比喩によって、心の底から激しく恨むことを言い表しています。
物語の舞台は、中国の春秋時代です。秦(しん)の穆公(ぼくこう)が送り出した軍は、晋(しん)の文公が亡くなった直後に軍事行動を起こし、帰路で晋軍の攻撃を受けて大敗しました。
晋軍は、秦軍を率いていた三人の将軍を生け捕りにしました。亡くなった晋の文公の夫人は秦の出身であったため、捕らえられた三人を救おうと考え、晋の君主に願い出ました。
夫人は、秦の穆公について、「繆公之怨此三人入於骨髄」と語りました。穆公は三人を骨の髄まで恨んでいるので、秦へ帰し、自ら煮殺して恨みを晴らさせてほしい、という意味です。
しかし、この言葉は、夫人が三人を助けるためについたうそでした。晋の君主はその話を信じ、三人を秦へ送り返しました。
三人が帰国すると、穆公は質素な服を着て、都の外まで迎えに出ました。そして、自分が賢臣の忠告を聞かなかったために三人を辱めてしまったのであり、三人に罪はないと涙を流して謝りました。
穆公は三人を処罰せず、以前と同じ官位に戻し、前よりも手厚く遇しました。この故事では、骨髄に入るほどの恨みは本心ではありませんでしたが、その言葉自体は、これ以上ないほど激しい恨みを表しています。
同じ『史記』の「淮陰侯列伝(わいいんこうれつでん)」にも、「秦父兄怨此三人、痛入骨髄」とあります。ここでは、秦の多くの人々が、仲間を見捨てて生き残った三人の将軍を、骨髄に達するほど深く恨んだことを表しています。
日本語の古い用例は、『太平記(たいへいき)』(14世紀後半成立・南北朝時代、作者不詳)の巻第四にあります。『太平記』は、鎌倉幕府の滅亡から南北朝の争乱までを描いた軍記物語です。
その挿話では、越王勾践(こうせん)が呉で辱めを受けていると聞いた范蠡(はんれい)の心を、「此の事を聞くに、恨骨髄に徹て忍び難し」と表しています。范蠡は、勾践を救い、会稽山で受けた恥をすすごうと決意します。
中国の原典では「骨髄に入る」という形でしたが、日本語では「骨髄に徹す」「骨髄に徹る」という形も用いられました。「徹す」には、奥深くまで貫き通る意味があり、恨みの激しさをいっそう強く印象づけます。
こうして、「恨み骨髄に徹す」は、骨の髄まで入り込むという強烈な比喩によって、心の最も深い所に刻まれた恨みを表す故事成語となりました。日常の小さな不満ではなく、人生を大きく損なうほどの害や裏切りを受けたときの、極めて深い恨みに用いる言葉です。
「恨み骨髄に徹す」の使い方




「恨み骨髄に徹す」の例文
- 長年仕えた家臣に国を奪われ、王の恨み骨髄に徹す。
- 無実の罪によって父を失った青年の恨み骨髄に徹すさまが、物語の終盤で描かれる。
- 村を焼いた敵への恨み骨髄に徹すと、古い記録は伝える。
- 会社を倒産へ追い込んだ詐欺師に対し、経営者の恨み骨髄に徹す。
- 恩師を陥れた人物に対する彼の恨み骨髄に徹すが、復讐ではなく裁判による解決を選んだ。
- 戦争で家族を奪われた人々の恨み骨髄に徹すことを、国の指導者は重く受け止めた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・司馬遷『史記』紀元前91年ごろ。
・『太平記』14世紀後半成立。























