【故事成語】
愛多ければ憎しみ至る
【読み方】
あいおおければにくしみいたる
【意味】
度を越した愛情や特別あつかいを受けることが多いと、ほかの人からねたまれ、憎まれやすくなるということ。


【英語】
・Favour breeds envy.(ひいきはねたみを生む)
【類義語】
・愛多憎生(あいたぞうせい)
・愛多憎至(あいたぞうし)
・恩甚だしければ怨み生ず(おんはなはだしければうらみしょうず)
「愛多ければ憎しみ至る」の故事
「愛多ければ憎しみ至る」は、中国の古い書物『亢倉子(こうそうし)』に出てくる「愛多則憎至」にもとづく言葉です。原文の「愛多則憎至」は、「愛が多すぎれば、憎しみがそこに至る」という意味に読めます。
『亢倉子』は、古くは庚桑楚(こうそうそ)の名と結びつけられてきました。一方で、今に伝わる本文については、唐の王士元(おうしげん)が失われた書を補う形でまとめたものとする説明が伝えられています。
この言葉が出てくるのは、『亢倉子』の「用道第二」という篇です。この篇では、ものごとには一見正しいようで正しくないことや、正しくないようで正しいことがあり、初めはよくても終わりが悪くなることがある、と述べられています。
その流れの中で、人との近づき方や敬い方についても、行き過ぎるとかえって反対の結果を招くと説かれています。たとえば、敬いすぎれば親しみにくくなり、親しみすぎれば敬われにくくなる、という考えが示されています。
続いて、「親之而疏,疏之而親」という言葉が出てきます。これは、親しくしようとしてかえって遠ざかることもあり、遠ざけたつもりがかえって近づくこともある、という人間関係の微妙さを表しています。
その直後に、「恩甚則怨生,愛多則憎至」と述べられます。恩が過ぎると怨みが生まれ、愛が多すぎると憎しみに至る、という意味で、よいはずの恩や愛も、ほどを失うと人の心を乱すことがあると教えています。
ここでいう「愛」は、恋愛だけを指すものではありません。人をかわいがり、いつくしみ、大切に思う気持ちを広く含み、とくにこの言葉では、人を特別に目をかけることや、寵愛することに近い意味で受け取ると分かりやすいです。
『亢倉子』の同じ箇所では、「百事之宜其由甚微,不可不知」とも続きます。多くのことのよいやり方は、ほんのわずかな加減にかかわるので、知らないわけにはいかない、という趣旨です。
さらに、「同じ道を行く者は愛し合い、同じ技をもつ者はねたみ合う」という内容も述べられています。人は近い立場にいるからこそ、親しみも生まれますが、同時に競争心やねたみも生まれやすいのです。
日本語では、この漢文の「愛多則憎至」を読み下す形で、「愛多ければ憎しみ至る」という言い方が用いられます。現在の意味も、度を越した愛情や特別あつかいを受けると、ほかの人から憎まれやすくなるという内容にまとまっています。
この言葉は、愛情そのものを悪いものとする教えではありません。問題にしているのは、分けへだてのない思いやりではなく、周囲の人が不公平だと感じるほどのかたよった愛情やひいきです。
したがって、「愛多ければ憎しみ至る」は、人を大切にするときほど、公平さと節度を忘れてはならないという戒めです。強い愛情がよい結果だけを生むとは限らず、扱い方を誤ると、受ける人にも周囲にも苦しみを生むことを教える言葉です。
「愛多ければ憎しみ至る」の使い方




「愛多ければ憎しみ至る」の例文
- 愛多ければ憎しみ至るというように、親が一人の子だけを特別にかわいがると、きょうだいの間に不満が生まれやすい。
- 担任が同じ児童ばかりを代表に選ぶと、愛多ければ憎しみ至るで、学級の空気がぎくしゃくする。
- 社長に目をかけられすぎた社員は、愛多ければ憎しみ至るの形で同僚から反感を買った。
- 祖母は、孫をかわいがるにも愛多ければ憎しみ至るを忘れてはいけないと言った。
- チームの監督が特定の選手だけをひいきすれば、愛多ければ憎しみ至るとなり、仲間の信頼を失う。
- 愛多ければ憎しみ至るを避けるには、ほめるときにも周囲への配慮を忘れないことが大切だ。
主な参考文献
・公益財団法人日本漢字能力検定協会編『漢検 漢字辞典 第二版』日本漢字能力検定協会、2014年。
・『亢倉子』。
・紀昀ほか総纂『欽定四庫全書』1781年。























