【ことわざ】
秋の稲妻は千石増す
【読み方】
あきのいなずまはせんごくます
【意味】
秋に走る稲光は、米の収穫を千石も増やすほどの豊作をもたらすということ。転じて、秋の稲光を豊作のよいしるしとする言い伝え。


【英語】
・Autumn lightning promises a rich harvest.(秋の稲妻は豊作のしるしである)
・Lightning in autumn brings more rice.(秋の稲妻が実りを増やすということ)
【類義語】
・稲光は豊年の兆し(いなびかりはほうねんのきざし)
・秋日和半作(あきびよりはんさく)
・秋場半作(あきばはんさく)
【対義語】
・秋荒れ半作(あきあれはんさく)
・夏の東風は凶作(なつのこちはきょうさく)
「秋の稲妻は千石増す」の語源・由来
このことわざは、秋の稲光を、稲の実りを増やすありがたいしるしとして受け止めたところから生まれた言い方です。意味の土台にあるのは、雷をただこわがるだけでなく、田のめぐみと結びつけて考える古い農の感覚です。
まず大事なのは、「稲妻」という語そのものです。古い国語辞典では「稲の夫(つま)」の意とされ、稲の結実期に起こる光なので、これによって稲が実ると考えられていたことが説明されています。
この語はかなり古く、905年(延喜5年・平安時代中期)から914年(延喜14年・平安時代中期)ごろに成った『古今和歌集(こきんわかしゅう)』には、秋の田を照らす稲妻を詠んだ歌が入っています。つまり、「秋の田」と「稲妻」とを強く結びつける感覚は、平安時代にはすでに和歌のことばとして定着していたわけです。
さらに、1667年(寛文7年・江戸時代前期)の『玉海集追加』には、「稲の殿」という言い方が出てきます。これも、稲に対して雷光を配偶者や恋の相手のようにとらえる古い発想を伝える例で、稲妻が実りを助けるという考えが長く生きていたことを示します。
こうした考えは、一部の特別な地方だけの思いつきではありません。民俗を扱う項目でも、生育中の稲は雷の訪れによって穂ばらみするとする観念が全国的にあったことが語られています。
そのため、「秋の稲妻は千石増す」という形のことばも、だれか一人の作った名句というより、農村の暮らしの中で受け継がれた天気と収穫の言い伝えとして理解すると分かりやすいです。実際、このことばは、ことわざ辞典では俗信・俗説として立てられており、農耕の知識を伝えることばの例としても挙げられています。
ここでいう「千石」は、一石の千倍という大きな量です。「石」はもともと米の量を表す大切な単位でしたから、「千石増す」は、ほんの少し増えるという意味ではなく、実りがぐんと増えることを強く言い表したものです。
つまり、このことわざの後半は、数字を細かく計算したことばではなく、豊作への大きな期待をはっきり示すための言い回しです。秋の空に光る一すじの稲妻を見て、今年は米俵がたくさん積めるぞという願いが、そのまま言葉の形になったと考えると、意味がつかみやすくなります。
現代の見方からも、昔の人の感覚にうなずける面があります。雷は大気中で窒素化合物を生み、雨とともに地上へもたらすことがあり、また雷が多い年は、稲にとって必要な日照・気温・降水がそろいやすいという説明もあります。
もちろん、このことわざは「秋に稲妻が光れば必ず豊作になる」と言い切る科学の式ではありません。けれども、田のようすを毎日見てきた人びとが、雷と実りの関係を長い年月の中で感じ取り、よい兆しとして言い伝えたことばだと考えると、その重みがよく伝わります。
こういうわけで、「秋の稲妻は千石増す」は、秋の雷をめぐる古い信仰、稲作の観察、そして豊作を願う気持ちが一つになって残ったことわざです。人を教えさとすことばというより、自然とともに生きてきた暮らしの知恵を今へ伝えることばとして読むのがいちばん自然です。
「秋の稲妻は千石増す」の使い方




「秋の稲妻は千石増す」の例文
- 理科で稲の育ちを学んだ子どもたちは、夜空の光を見て、秋の稲妻は千石増すという言い伝えを思い出した。
- 田の見回りから戻った祖父は、山の端の稲光を見て、秋の稲妻は千石増すと静かに言った。
- 稲刈り前の集まりで遠くの空が光り、年配の人たちは秋の稲妻は千石増すだから今年は期待できると顔をほころばせた。
- 郷土のことばを集めた冊子には、秋の稲妻は千石増すが豊作を願う農家の心を伝えることばとして載っていた。
- 農業新聞のコラムは、秋の稲妻は千石増すを取り上げ、天気と収穫を結びつける昔の知恵を紹介した。
- 天候の話になるたび、祖母は秋の稲妻は千石増すと言って、若いころの稲刈りの思い出を語った。























