【ことわざ】
畦から行くも田から行くも同じ
【読み方】
あぜからいくもたからいくもおなじ
【意味】
手段や経路が違っても、目的や結果は同じであることのたとえ。


【英語】
・All roads lead to Rome(どの方法をとっても、結局は同じ結果に至る)
【類義語】
・早牛も淀、遅牛も淀(はやうしもよど、おそうしもよど)
・遅牛も淀、早牛も淀(おそうしもよど、はやうしもよど)
「畦から行くも田から行くも同じ」の語源・由来
このことわざのもとには、田と畦という、昔の農村でだれにも身近だった場所の対比があります。畦は「あぜ」と読み、耕地の区切りや境を指す言葉で、田の中を通る場合と、田のふちの畦を通る場合とを並べることで、道筋は違っても行き着く先は変わらないという考えを表しています。
古い形としては、「田を行くも畔を行くも同じ道」という言い方が伝わっています。この形は、松江重頼編の俳諧書『毛吹草(けふきぐさ)』(寛永15年序・1638年、江戸時代初期)に用例があり、手段や経路が違っても目的は同じであることを表す言葉として扱われています。
ここで大切なのは、最初から抽象的な理屈だけを述べた言葉ではなく、田を横切る道と畦を歩く道という、目に見える具体的な情景から意味が広がっている点です。田を進むか、畦を進むかは違っても、同じ場所へ向かうなら結局は同じ道だという発想が、後に「方法は違っても目的や結果は同じ」という意味へ移っていきました。
その後、「田から行くも畔から行くも」という形も使われました。江戸時代中期の浄瑠璃『敵討御未刻太鼓(かたきうち おやつのたいこ)』(長谷川千四作)には、「田からゆくも畦(あぜ)から行くも、お雪が手に入れたさ」という用例があります。この場面では、道筋がどうであっても、望む相手を手に入れたいという結論は同じだ、という意味で言葉が使われています。
表記には、「畦」と「畔」のゆれがあり、「田を行くも畔を行くも同じ道」「田から行くも畔から行くも」「畦から行くも田から行くも同じ」など、近い形が伝わっています。いずれも、田と畦という二つの通り道を並べて、進み方の違いよりも、最後に到達する目的や結果が同じであることを強調する言い方です。
現在の「畦から行くも田から行くも同じ」は、昔の農村の具体的な道のたとえを残しながら、勉強、仕事、話し合い、行事の準備などにも広く使えることわざになっています。どの方法を選ぶかに違いがあっても、同じ目的に着くなら本質は変わらない、という落ち着いた見方を示す表現です。
「畦から行くも田から行くも同じ」の使い方




「畦から行くも田から行くも同じ」の例文
- 学校まで歩いて行くか自転車で行くかは違っても、集合時間に着くなら畦から行くも田から行くも同じ。
- 家計簿を紙でつけてもアプリでつけても、支出を正しく見直せるなら畦から行くも田から行くも同じ。
- 発表資料を文章から作る人も、図表から作る人も、同じ内容を伝えるなら畦から行くも田から行くも同じ。
- 兄は先に宿題を終え、弟は夕食後に取り組むが、期限までに提出できるなら畦から行くも田から行くも同じ。
- 町内会の案内を回覧板で知らせても掲示板に貼っても、全員に伝わるなら畦から行くも田から行くも同じ。
- 商品の注文を電話で受けてもメールで受けても、正確に発送できるなら畦から行くも田から行くも同じじ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・公益財団法人日本漢字能力検定協会『漢字ペディア』。
・Cambridge University Press『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus』Cambridge University Press。
・松江重頼編『毛吹草』寛永15年序。
・長谷川千四『敵討御未刻太鼓』享保11年12月初演。























