【故事成語】
轅下の駒
【読み方】
えんかのこま
【意味】
人の束縛を受けて自由にならないこと。また、任務を果たすだけの力がないことのたとえ。


【英語】
・be tied down(自由を制限される)
・be out of one’s depth(力や経験が足りず手に負えない)
【類義語】
・籠の鳥(かごのとり)
・籠鳥(ろうちょう)
・手も足も出ない(てもあしもでない)
【対義語】
・自由(じゆう)
「轅下の駒」の故事
「轅下の駒」は、中国前漢の司馬遷が著した歴史書『史記(しき)』巻一百七「魏其武安侯列伝」に出てくる「轅下駒」という言葉にもとづきます。『史記』は、黄帝から前漢の武帝までの歴史を記した全百三十巻の通史で、紀伝体の祖とされます。
「轅」は、馬車や牛車の前方に長く突き出た二本の棒、つまり「ながえ」を指します。そこに馬をつないで車を引かせるため、「轅下」は車のながえの下、またはながえにつながれた位置を表します。
「駒」は、もとは子馬のことです。「轅下の駒」の場合は、まだ二歳で、車を引くだけの十分な力をもたない若い馬を指します。
『史記』「魏其武安侯列伝」は、魏其侯の竇嬰、武安侯の田蚡、そして灌夫らをめぐる対立を描いた列伝です。竇嬰は漢の文帝の皇后の親族であり、田蚡は景帝の皇后の弟で、灌夫は軍功のある人物として伝えられます。
物語の背景には、前漢の武帝の時代に起こった有力者どうしの争いがあります。魏其侯の竇嬰は灌夫を弁護し、武安侯の田蚡は灌夫の横暴を強く非難しました。
朝廷で意見を求められたとき、御史大夫の韓安国は、竇嬰の言い分にも田蚡の言い分にもそれぞれ道理があると述べ、最後は皇帝の判断に任せる形にしました。汲黯は魏其侯の側に立ちましたが、内史の鄭当時は魏其侯の側としながらも、はっきり強く言い切ることができませんでした。
その様子を見た武帝は怒り、鄭当時に向かって、「公、平生數言魏其、武安長短、今日廷論、局趣效轅下駒」と言いました。分かりやすく言えば、「あなたは日ごろ、魏其侯と武安侯のよしあしを何度も語っていたのに、今日の朝廷での議論では、身を縮めて、ながえの下の子馬のようにしている」という意味です。
ここでいう「轅下の駒」は、車につながれた若い馬が、狭い場所で身を縮め、十分に力を発揮できない姿を表します。武帝は、鄭当時が自由に堂々と意見を述べず、立場に縛られて小さくなっていることを、このたとえで責めたのです。
この表現には、二つの意味の筋があります。一つは、人から束縛されて自由に動けないこと、もう一つは、若い馬が車を引く力に足りないように、任務を果たす力が十分でないことです。
後の辞書的な用法では、「轅駒」という形でも、ながえにつながれた子馬、不自由のたとえとして示されます。『史記』の同じ場面を根拠に、自由を失い、思うように力を出せない姿を表す言葉として受け継がれました。
また、唐の詩人杜甫の「別蘇徯詩」にも、「轅下の駒」に関わる古い用例が伝わります。中国の史書に出た比喩が、後の詩文でも、不自由な身や力を尽くしきれない境遇を表す言葉として使われていったことが分かります。
現在の「轅下の駒」は、単に若い馬のことをいうのではありません。人に押さえられて自由に動けない立場や、任務に対して力が及ばず、思うように働けない状態を、古い車馬の比喩によって表す故事成語です。
「轅下の駒」の使い方




「轅下の駒」の例文
- 新しい部署に入ったばかりの彼は、細かな指示に縛られ、轅下の駒のように自由に動けなかった。
- 経験の浅い一年生だけに大きな役目を任せるのは、轅下の駒に重い車を引かせるようなものだ。
- 厳しい規則の中で意見を言えない生徒たちは、轅下の駒のような立場に置かれていた。
- 準備も知識もないまま難しい交渉を任され、彼は轅下の駒となって苦しんだ。
- 上司の命令だけで動かされる働き方では、社員は轅下の駒になってしまう。
- 自分の力に合わない仕事を抱え込めば、轅下の駒のように進むことも退くこともできなくなる。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・白川静著『字通 普及版』平凡社、2014年。
・司馬遷『史記』前漢。
・Cambridge University Press『Cambridge Dictionary』。
・Oxford University Press『Oxford Advanced Learner’s Dictionary』。























