【ことわざ】
己を責めて人を責むるな
【読み方】
おのれをせめてひとをせむるな
【意味】
自分の責任で起こったことを他人のせいにせず、まず自分の行いや判断を反省せよという戒め。


【英語】
・Take responsibility for your own actions(自分の行動に自分で責任を持つ)
【類義語】
・自責(じせき)
【対義語】
・他責(たせき)
「己を責めて人を責むるな」の語源・由来
「己を責めて人を責むるな」は、「人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し」で始まる、いわゆる「東照公遺訓」の一節として広く知られています。全文では、我慢すること、怒りを慎むこと、勝つことばかりを求めないことなどに続いて、この言葉が置かれています。
ここでいう「己」は、自分自身を指します。「責むる」は「責める」の文語的な言い方で、他人の落ち度を非難したり、とがめたりすることを表します。伝えられた文章には、「己れを責めて人を責むるな」「おのれを責めて人を責めるな」など、漢字や送り仮名の異なる形があります。
この教訓文は、長い間、江戸幕府を開いた徳川家康の遺訓として伝えられてきました。しかし、家康自身が書き残した言葉とする確かな根拠はなく、現在広まっている文章は、徳川光圀の作として伝わった『人のいましめ』をもとに成立したものです。
『人のいましめ』は、1830年・江戸時代後期の記録である『天保会記』に収められています。そこでは、冒頭も「人の一生は重荷を負ひて遠き道を越行がごとし」となっており、現在よく知られる「遠き道を行くが如し」とは、表現が少し異なります。
この『人のいましめ』の教訓文は、幕末期に一部が改められ、「東照宮遺訓」という題を付けて広められました。その過程で長い文章が整えられ、「己を責めて人を責むるな」という簡潔で力強い形も定着していきました。
明治時代に入ると、1879年5月、大宮覚宝が書いた『東照宮御消息(とうしょうぐうごしょうそく)』が、富岡新三郎から出版されました。この書物は『習字 東照宮御消息』とも呼ばれ、教訓文が、書写の手本という形でも伝えられたことを示しています。
なお、古くから「東照宮御遺訓」という名で伝わる文書の中には、「人の一生は」で始まる教訓文とは内容の異なるものもあります。同じような題名をもつ文書が複数あるため、この言葉を含む教訓文とは、分けて考える必要があります。
もとの意味の中心は、自分の責任で人にさせたことや、自分の判断から生じた結果を、他人のせいにしてはならないという戒めです。そこから、自分には厳しく反省を求める一方、他人を責めるときには寛容であれという、広い教えとしても受け取られるようになりました。
したがって、このことわざは、何が起きても自分だけを責めよという意味ではありません。失敗の責任を安易に人へ押しつけず、まず自分にできたことや、改めるべきことを省みる姿勢を教えています。家康の言葉として確実なものではなくても、自分の責任を引き受ける大切さを示す教訓として、現在まで広く伝わっています。
「己を責めて人を責むるな」の使い方




「己を責めて人を責むるな」の例文
- 班長は己を責めて人を責むるなと考え、作業の遅れを仲間のせいにせず、指示の出し方を見直した。
- 父は己を責めて人を責むるなを心に留め、子どもを叱る前に自分の伝え方を振り返った。
- 監督は己を責めて人を責むるなの教えに従い、敗戦の責任を選手だけに負わせなかった。
- 部長が己を責めて人を責むるなの姿勢を示したことで、部下も失敗の原因を率直に話せた。
- 町長は己を責めて人を責むるなと自らを戒め、計画の混乱を職員の責任だけにはしなかった。
- 友人との行き違いが生じたとき、彼は己を責めて人を責むるなを思い出し、自分の言葉にも配慮が足りなかったと反省した。
主な参考文献
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・国史大辞典編集委員会編『国史大辞典 第10巻』吉川弘文館、1989年。
・徳川黎明会徳川林政史研究所監修、竹内誠・深井雅海・太田尚宏・白根孝胤著『江戸時代の古文書を読む 家康・秀忠・家光』東京堂出版、2012年。
・名古屋市蓬左文庫編『名古屋叢書三編 第十三巻 天保会記鈔本』名古屋市教育委員会、1987年。
・徳川義宣「一連の徳川家康の偽筆と日課念仏―偽作者を周る人々―」『金鯱叢書 史学美術史論文集 第8輯』徳川黎明会、1981年。
・徳川義宣「徳川家康遺訓『人の一生は』について」『金鯱叢書 史学美術史論文集 第9輯』徳川黎明会、1982年。
・大宮覚宝筆『東照宮御消息』富岡新三郎、1879年。























