【故事成語】
窮寇は追うこと勿れ
【読み方】
きゅうこうはおうことなかれ
【意味】
逃げ場を失った敵は必死に反撃してくるため、思わぬ損害を受けないよう、追い詰めすぎてはならないという戒め。


【英語】
・Do not press a desperate foe too hard.(追い詰められた敵を、あまり厳しく攻め立てるな)
【類義語】
・窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)
「窮寇は追うこと勿れ」の故事
「窮寇は追うこと勿れ」は、中国の兵法書『孫子(そんし)』に由来します。『孫子』は全十三編から成り、春秋時代の兵法家である孫武の著作と伝えられますが、現在の形は戦国時代に整えられたとみられています。戦いに勝つための技術だけでなく、敵と味方の状態を冷静に見極め、無用な危険や損害を避ける方法を説いた書物です。
この言葉のもととなった一節は、第七編の「軍争篇(ぐんそうへん)」にあります。現在広く伝わる本文には、「帰師勿遏、囲師必闕、窮寇勿迫、此用兵之法也」とあります。やさしく言えば、「国へ帰ろうとする軍を遮ってはならない。敵軍を囲んだときには必ず逃げ口を残し、追い詰められた敵をさらに攻め立ててはならない。これが戦いの原則である」という意味です。
「窮寇」の「寇」は、外から攻め込んでくる敵や賊を表します。「窮寇」は、進むことも退くこともできず、逃げ場を失った敵です。「勿迫」は「迫ること勿れ」と読み、そのような敵をそれ以上追い詰めてはならないと戒めています。
この教えは、直前に置かれた「囲師必闕」と深く結び付いています。敵軍を完全に包囲せず、わざと一か所に逃げ道を残しておけば、敵は命を捨てて戦うよりも、そこから逃げようとします。反対に、退路をすべてふさがれれば、生き残るために死に物狂いで抵抗し、優勢な側も予想外の損害を受けかねません。そこで『孫子』は、勝ちを急いで敵を皆殺しにしようとするのではなく、相手の心理を考え、安全に勝利を収めることを求めています。
原典の現在の本文では「窮寇勿迫」と書かれていますが、後の時代には「迫」の代わりに「追」を用いる形も広まりました。唐の杜佑が編んだ『通典(つてん)』(801年成立)には「窮寇勿追」という形があり、「追い詰められた敵を追うな」という簡潔な軍法として引用されています。
さらに、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』(14世紀末から15世紀初めごろ成立、羅貫中作)の第九十五回には、「兵法にいう、『帰師勿掩、窮寇莫追』」とあります。敗れて退く軍をむやみに襲わず、追い詰められた敵を深追いしないという教えが、登場人物の作戦を支える言葉として使われています。このように、原典の「迫るな」という表現は、後代になると、意味の分かりやすい「追うな」という形でも定着していきました。
日本語の古い用例は、辻原元甫の仮名草子『智恵鑑(ちえかがみ)』(1660年・江戸時代前期)巻八にあります。そこには、「窮寇はせまるべからずといひて、しづしづとおいて、おいつめざりければ」とあり、相手を静かに追いながらも、逃げ場を失うところまでは追い詰めなかった場面で、この教えが引かれています。
この古例では「迫るべからず」という形ですが、のちには「追うこと勿れ」という言い方も広く用いられるようになりました。現在の「窮寇は追うこと勿れ」は、単に弱い相手を見逃すという意味ではありません。追い詰められた相手ほど危険な反撃に出やすいことを見抜き、勝っているときにも冷静さを失わず、相手に退く余地を残すべきだという、慎重な判断の大切さを表す故事成語です。
「窮寇は追うこと勿れ」の使い方




「窮寇は追うこと勿れ」の例文
- 将軍は、逃げる敵軍を深追いせず、窮寇は追うこと勿れの教えを守った。
- 窮寇は追うこと勿れというから、勝敗が決したあとまで相手を攻め続けるべきではない。
- 交渉相手に撤回の余地を残したのは、窮寇は追うこと勿れという判断によるものだった。
- 監督は窮寇は追うこと勿れと選手に言い聞かせ、優勢になっても慎重な試合運びを求めた。
- 窮寇は追うこと勿れを心得た彼は、謝った友人をそれ以上責めなかった。
- 相手を完全に追い込めば激しい反発を招くため、窮寇は追うこと勿れの知恵が必要になる。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・『孫子』戦国時代成立。
・杜佑『通典』801年。
・羅貫中『三国志演義』14世紀末〜15世紀初成立。
・辻原元甫『智恵鑑』1660年。
・Sun Tzu, The Art of War, translated by Lionel Giles, 1910.























