【故事成語】
虚にして往き実にして帰る
【読み方】
きょにしてゆきじつにしてかえる
【意味】
師から言葉で直接教えられなくても、その徳や人柄に触れ、自然に感化されて多くの学びを得ること。


【類義語】
・薫陶を受ける(くんとうをうける)
「虚にして往き実にして帰る」の故事
この故事成語は、「何も得ていない状態で出かけ、豊かな教えを得て帰る」という意味の「虚而往、実而帰」に基づきます。後には、四字にまとめた「虚往実帰(きょおうじっき)」という形でも用いられるようになりました。
もとになった言葉は、中国古代の思想書『荘子(そうじ)』(戦国時代から前漢初期ごろに成立)の内篇「徳充符(とくじゅうふ)」に出てきます。現在伝わる『荘子』は三十三篇から成り、その文章には、人物の対話やたとえ話を通して思想を説くものが数多く収められています。
魯(ろ)の国には、王駘(おうたい)という足の不自由な人物がいました。王駘のもとに学びに集まる人の数は、孔子の門人と同じほど多く、魯の国を孔子と二分するほどであったと書かれています。
常季という人物は、この不思議な評判について孔子に尋ねました。王駘は、立って教えを説くことも、座って物事を論じることもないのに、人々は「虚にして往き、実にして帰る」というのです。
ここでいう「虚」とは、人々がまだ大切な教えを得ていない状態を指します。それに対して「実」は、王駘から言葉による説明を受けなくても、その人柄や徳に触れるうちに心が満たされ、学びを身につけた状態を表します。常季は、このような働きを「言葉によらない教え」と呼べるのではないかと驚きました。
孔子は、王駘を聖人とたたえ、自分もまだ訪ねていないだけで、いずれ師として仰ぎたいと答えます。そればかりか、魯の国の人々だけでなく、天下の人々を連れて教えを受けたいとまで述べました。
王駘の力は、巧みな話し方や豊富な知識を見せることにあったのではありません。生死のような大きな変化にも心を乱されず、足を失ったことさえ、土を払い落としたほどのことと受け止める、揺るがない心を備えていました。
孔子はさらに、人は流れる水ではなく、静かに止まった水に自分の姿を映すと述べています。王駘の心も止まった水のように静かであったため、その落ち着きに引かれた人々の心までも静まり、言葉を交わさなくても深い影響を受けたのです。
この故事で大切なのは、出かけた先で多くの知識を詰め込んだということだけではありません。優れた人物の生き方に接し、強制されることなく考え方や行動が変わり、内面が豊かになったことを表しています。そこから、師の徳や人格によって自然に感化されることを「虚にして往き、実にして帰る」というようになりました。
後の中国では、『魏書(ぎしょ)』(554年成立、魏収編)や『南史(なんし)』(唐代、李延寿編)にも、「虚往実帰」という四字の形が出てきます。王駘の話を直接語らない文章にも用いられており、徳のある人物に接して教えを得ることを表す言い方として、広がっていったことが分かります。
日本でも、この表現は早くから受け入れられました。空海は大同元年、すなわち806年に書いた「与越州節度使求内外経書啓」で、儒教・仏教・道教に関わる書物を日本へ持ち帰るための助力を願い、「虚往実帰」の言葉を用いています。この文章は、真済が空海の漢詩文を集めた『遍照発揮性霊集(へんじょうほっきしょうりょうしゅう)』(835年ごろ成立・平安時代初期)巻五に収められています。
このように、「虚にして往き、実にして帰る」は、何も知らずに出かけて知識を得るというだけの表現ではありません。言葉で細かく教えられなくても、優れた人物の徳や生き方に触れることで心が満たされ、人として成長して帰ることを表す故事成語です。
「虚にして往き実にして帰る」の使い方




「虚にして往き実にして帰る」の例文
- 無口な名工の仕事ぶりを一日見つめた弟子は、虚にして往き実にして帰ることとなった。
- 祖父の誠実な振る舞いに触れた少年は、虚にして往き実にして帰る思いで家路についた。
- 若い職人たちは、親方の工房を訪ねるたびに、虚にして往き実にして帰る。
- その道場では師範が多くを語らなくても、門人は虚にして往き実にして帰る。
- 地域の名人と一日を過ごした児童たちは、虚にして往き実にして帰るという言葉どおり、多くの学びを持ち帰った。
- 彼女のもとを訪ねた若者は、言葉以上にその生き方から学び、虚にして往き実にして帰る。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『デジタル大辞泉』小学館。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・中華民国教育部『重編國語辭典修訂本 第六版』2021年。
・『荘子』。
・魏収『魏書』554年。
・李延寿『南史』唐代。
・真済編『遍照発揮性霊集』835年ごろ。























