【故事成語】
君子蕩蕩として小人戚戚たり
【読み方】
くんしとうとうとしてしょうじんせきせきたり
【意味】
徳を備えた立派な人は、心が広くゆったりとしているが、度量の狭い人は、いつも不安や心配に苦しんでいるということ。


【英語】
・The superior man is satisfied and composed; the mean man is always full of distress.(立派な人は心が満ち足りて落ち着き、つまらない人はいつも不安に苦しむ)
【類義語】
・君子は憂えず懼れず(くんしはうれえずおそれず)
「君子蕩蕩として小人戚戚たり」の故事
「君子蕩蕩として小人戚戚たり」は、中国の古典『論語(ろんご)』の「述而(じゅつじ)」に由来します。『論語』は、孔子とその周囲の人々の言行を伝える書物であり、孔子の教えや人柄を知るための重要な古典として読み継がれてきました。
原文には、「子曰、君子坦蕩蕩、小人長戚戚」とあります。孔子が、「君子は心が平らかで広々としているが、小人はいつまでも心配し、びくびくしている」と述べた言葉です。
原文の「坦(たん)」は、平らかで落ち着いていることを表し、「蕩蕩(とうとう)」は、果てしなく広いことから、心が安らかでゆったりしている様子を表します。一方、「戚戚(せきせき)」は、憂い悲しむ様子や、心配し恐れる様子を意味します。
また、「君子」は、学識と人格に優れ、徳を身につけた立派な人を指します。ここでいう「小人」は、子どもや背の低い人ではなく、品性や度量に欠け、目先の利益に心を奪われる人を指します。
三国時代に何晏がまとめた『論語集解(ろんごしっかい)』には、鄭玄の注として、「坦蕩蕩」は心が広い様子、「長戚戚」は憂いや恐れが多い様子だとあります。さらに、君子は、自分の行いを振り返っても良心に恥じるところがないため、心が広く穏やかであり、小人は過ちを犯しがちなため、いつも不安や恐れを抱くと説いています。
朱熹の『論語集注(ろんごしっちゅう)』には、君子は道理に従うので、いつも心が伸びやかで安らかであり、小人は外の物事に振り回されるので、憂いや悩みが多いという解釈があります。ここでは、君子の落ち着きは生まれつきの性格ではなく、正しい道理に沿って行動することから生まれるものとして捉えられています。
この言葉は、後漢の歴史を記した『後漢書(ごかんじょ)』にも引用されています。明帝は永平二年、儀式を終えた後の詔で、自分はもともと頑なで、物事に臨むといっそう恐れを抱くため、「君子坦蕩蕩、小人長戚戚」という言葉のとおりだと述べました。皇帝が自らを戒める文脈で用いていることから、『論語』の一節が早くから広く知られ、人の心のあり方を表す言葉として使われていたことが分かります。
日本では、原文を「君子は坦として蕩蕩たり、小人は長しなえに戚戚たり」などと読み下します。「君子蕩蕩として小人戚戚たり」は、原文にある「坦」と「長」を省き、君子と小人の対照を簡潔に表した形です。
この故事成語が伝える落ち着きは、何も心配せず、のんびり構えることではありません。自分の行いを省みても恥じるところがなく、目先の利益や周囲の評価に振り回されないため、心が安らかでいられるということです。『論語』の別の章にも、君子は自分の内を振り返ってやましいところがないので、憂えたり恐れたりしないという教えがあります。
「君子蕩蕩として小人戚戚たり」の使い方




「君子蕩蕩として小人戚戚たり」の例文
- 自分の力で仕上げた作品を提出した彼は、君子蕩蕩として小人戚戚たりという言葉のように、落ち着いて審査結果を待った。
- 約束を破ったことを隠し、物音のたびに慌てる弟を見て、母は君子蕩蕩として小人戚戚たりと諭した。
- 委員長は公正な手順を守って決定を下し、君子蕩蕩として小人戚戚たりの態度で反対意見にも耳を傾けた。
- 不正な利益を得た社員は調査を恐れ続け、君子蕩蕩として小人戚戚たりという言葉を思わせた。
- 候補者は根拠のないうわさに動じず、君子蕩蕩として小人戚戚たりの心構えで堂々と演説を続けた。
- 目先の損得に振り回されず、正しいと信じる道を歩む姿勢には、君子蕩蕩として小人戚戚たりの教えが表れている。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・金谷治訳注『論語 ワイド版岩波文庫』岩波書店、1991年。
・田中慶太郎校訂『縮臨古本論語集解』文求堂書店、1930年。
・朱熹『論語集注』南宋。
・范曄著、李賢注、渡邉義浩訳『後漢書 本紀1』早稲田大学出版部、2022年。
・中華民國教育部『重編國語辭典修訂本』。























