【ことわざ】
踊り三人見手八人
【読み方】
おどりさんにんみてはちにん
【意味】
物事を実際に行う人よりも、そばで見ているだけの人のほうが多いことのたとえ。


「踊り三人見手八人」の語源・由来
「踊り三人見手八人」は、踊っている人は三人しかいないのに、それを眺める人は八人もいるという情景から生まれた言い方です。踊る側には、実際に体を動かす働きが必要ですが、見る側は、その場にいて眺めるだけでも務まります。そこから、実際に物事を進める人は少なく、周囲で見ている人ばかりが多いという意味になりました。
ここでいう「踊り」は、音楽や拍子に合わせて体を動かすことを指します。日本の踊りには、だれもが参加できる集団的なものも多く、祭りや人の集まる場所では、踊る人の周囲を多くの見物人が取り囲む光景が生まれます。このことわざは、そのような踊りの場で目にする、踊り手と見物人との人数の違いを、分かりやすいたとえにしています。
「見手(みて)」は、「見る人」や「見物人」を意味する古い言葉です。『花鏡(かきょう)』(1424年・室町時代前期、世阿弥著)には、「為手の心をしり分て能をみる見て」という一節があり、演じる者の心を理解しながら能を見る人を「見手」と呼んでいます。ことわざの「見手」も、踊りを外側から見物する人を指しています。
「三人」と「八人」は、実際の踊りの人数を正確に定めたものではありません。三という小さい数と八という大きい数を並べることで、行動する人と見ている人との開きを、短く調子よく示しています。この数の対照が、「働く者は少なく、傍観する者は多い」という意味を、印象深く伝えます。
また、このことわざは、単に観客の多い催しを表す言葉ではありません。見物人が多いこと自体ではなく、手を動かすべき人が少ないのに、参加せずに眺めたり、外から意見を述べたりする人ばかりが多い状態を指します。そのため、多くの観客に見守られながら、少人数が舞台で演じるという普通の公演には、必ずしも当てはまりません。
踊りの場を表した具体的な言い方は、やがて、仕事、行事、共同作業、話し合いなどにも広く用いられるようになりました。大勢が集まっているのに、実際に準備や作業を引き受ける人がわずかしかいないとき、「踊り三人見手八人」と言えば、実行する人よりも傍観する人のほうが多い状態を、少し皮肉を込めて簡潔に表せます。
「踊り三人見手八人」の使い方




「踊り三人見手八人」の例文
- 地域の祭りの準備には大勢が集まったが、実際にテントを立てたのは数人だけで、踊り三人見手八人の状態だった。
- 引っ越しの手伝いに来た人の多くが指示を出すばかりで、踊り三人見手八人になっていた。
- 踊り三人見手八人では作業が進まないので、見ている人にも荷物を運んでもらった。
- 会議では意見を述べる人が多いのに、計画を実行する人は少なく、まさに踊り三人見手八人だった。
- 町内の清掃活動が踊り三人見手八人にならないよう、参加者全員に担当する場所を決めた。
- 新しい企画を応援すると言う人は多かったが、準備を引き受ける人は少なく、踊り三人見手八人の有様だった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・清海節子「ことわざの中の反義語―意味特徴と数詞の対比」『駿河台大学論叢』第59号、2019年。
・世阿弥『花鏡』1424年。























