【故事成語】
雲泥の差
【読み方】
うんでいのさ
【意味】
天と地ほどの隔たり。二つの物事の間に、非常に大きな違いがあること。


【英語】
・be worlds apart(まったく異なっている)
【類義語】
・月と鼈(つきとすっぽん)
・提灯に釣鐘(ちょうちんにつりがね)
「雲泥の差」の故事
「雲泥の差」の「雲泥」は、空に浮かぶ雲と、地上にある泥のことです。上下に遠く隔たった二つを並べることで、物事の間に非常に大きな違いがあることを表します。
このたとえの背景には、『後漢書(ごかんじょ)』(432年・南朝宋、范曄編)の「逸民列伝」に記された矯慎(きょうしん)の話があります。『後漢書』は、後漢王朝の歴史を、人物の伝記を中心にまとめた史書です。
矯慎は後漢の時代に老子などの思想を学び、人里を離れた山中で暮らしていました。洞穴を住まいとし、名声や官職を求めず、世間から身を引いて生きていた人物です。
その矯慎を尊敬していた呉蒼(ごそう)という人物が、彼の考えを知ろうと、手紙を送りました。手紙には、「雖乘雲行泥、棲宿不同」とあります。
これは、雲に乗る者と泥の中を行く者のように、互いの暮らす世界は異なっている、という意味です。呉蒼は、山奥に隠れて暮らす矯慎と、世俗の中で生きる自分との隔たりを、雲と泥にたとえました。
呉蒼はさらに、世を離れて身を隠すだけでなく、学んだ道を政治や人々の暮らしに役立ててはどうかと勧めました。しかし、矯慎はこの手紙に返事をしませんでした。
『後漢書』の文章に、現在の「雲泥の差」という形が、そのまま出てくるわけではありません。しかし、雲に乗ることと泥を行くことを対照させ、二人の境遇や生きる世界の隔たりを表した点が、後の「雲泥」という比喩につながっています。
唐代中期の詩人・白居易は、『秦中吟』十首の一つ「傷友」で、「今日長安道、對面隔雲泥」と詠みました。「今日、長安の道では、顔を合わせても雲と泥ほど隔たっている」という意味です。
この詩では、かつて貧しいころに助け合った友人の一人が出世し、立派な馬に乗って通りかかります。一方は粗末な驢馬(ろば)を道端に寄せますが、出世した友人は振り返りながらも、相手を知らない者のように扱いました。
二人は以前、身分の低い者どうしとして親しく交わっていました。それが今では、富や地位によって、顔を合わせても通じ合えないほど遠い関係になったため、白居易はその隔たりを「雲泥」と表したのです。
日本では、「雲泥」という表現が『菅家文草(かんけぶんそう)』(900年・平安時代前期、菅原道真著)に出てきます。また、『平家物語』(13世紀前半成立・鎌倉時代前期)にも、「今は雲泥まじはりを隔てて」とあり、互いの関係が遠く隔たったことを表しています。
『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』(1018年ごろ成立・平安時代中期、藤原公任撰)には、橘正通の漢詩として「雲泥万里」という形が収められています。雲と泥に「万里」を添え、はるか遠く隔たっていることを強く表した言い方です。
さらに、『どちりいなきりしたん』(1592年・安土桃山時代)には、「天地雲泥の差別」とあります。「雲泥」に、違いや隔たりを表す言葉を続ける形が、近世初期にはすでに用いられていました。
このように、「雲」と「泥」は、初めは暮らす世界や境遇の隔たりを表し、やがて、地位、能力、品質、価値などの大きな違いにも広く使われるようになりました。現在の「雲泥の差」は、二つのものが少し違うのではなく、比べものにならないほど大きく異なることを表す故事成語です。
「雲泥の差」の使い方




「雲泥の差」の例文
- 同じ題材を描いた二枚の絵でも、細部の表現力には雲泥の差があった。
- 毎日練習を続けた結果、一年前の演奏と現在の演奏には雲泥の差が生まれた。
- 古い機械と新型の機械では、作業の速さに雲泥の差がある。
- 二つの旅館は料金こそ近いが、接客の丁寧さには雲泥の差があった。
- 十分に準備した案と、その場で考えた案とでは、説得力に雲泥の差が出る。
- 同じ広さの公園でも、手入れの行き届いた所と放置された所では、景観に雲泥の差がある。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・Cambridge University Press, Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus.
・范曄『後漢書』432年。
・白居易『白氏長慶集』唐代。
・菅原道真『菅家文草』900年。
・藤原公任撰『和漢朗詠集』1018年ごろ成立。
・『どちりいなきりしたん』1592年。























